第八夜 LEDの強い灯の下、ドラムの回る低い振動音を聞きながら、茶色いビニル張りの長椅子に深く腰を掛けて漫画雑誌の頁を捲る。洗濯機の振動音がこんなに大きく聞こえるのは深夜だからか。大通りの交通量も人通りも、普段この店を利 […]
第七夜 柳の木に背を預けて、ぼんやりと水面に糸を垂らしていると、 「どうですかい」 と右手から声を掛けられた。振り返ると小綺麗な格好のお侍さんが笠をちょいと持ち上げて微笑んでいる。左脇に置いていた魚籠には二匹の小さな鮒が […]
第六夜 大根の剣に大葉を敷いた上へ赤紫色の鰹の刺身を盛り付けた皿が、看板娘の白い、しかし水仕事でやや荒れた手で目の前に差し出された。礼を言いながら、一人座るカウンタ席の気安さでお絞りを脇へ退け、そこへ置かせる。ごゆっくり […]
第五夜 目の前に、一本の蝋燭が炎を掲げている。五寸ほどの、すらりと腰のくびれた蝋燭に、つい今しがた自分で火を灯したものらしい。 炎の周りだけが円くぼんやりと橙色に眩き、その外は真の闇。そこには胡座をかいた膝に手を置いて背 […]
第四夜 電話が鳴った。瞼越しにも部屋の未だ暗いのが見える。目を閉じたまま枕元へ手を伸ばして携帯電話を手に取り、耳元へ運んで「はい」と呼びかけると、未だ起きていたかと若い男の声が挨拶も無しに返ってくる。随分とぞんざいな口の […]
第三夜 まだ肌寒い初春の午後である。陽溜まりに腰を下ろし、右膝を抱えるようにして足の爪を切っていると、窓越しに 「ちょっと、あんた」 と声がした。威勢のよい八百屋か魚屋の女主人を連想させるその声の有無を云わせぬ強制力に膝 […]
第二夜 「ほら、見えてきましたよ」 強いくせ毛に彫りの深い赤ら顔の男が船首の向こうを指差した。指の先には分厚い黒雲の下に赤紫色の遠い空、さらにその下に、 「あれが地獄の観光名所、地獄富士でさぁ」 と男が自慢気に言う通り、 […]
第一夜 万年筆の青黒いインキで細やかに線描された紳士の顔。それだけが意識にあった。 その顔の口髭の下の唇が、発声練習のお手本のように几帳面にこう動いた。 「こんな夢を見た」。 それを聞いて、これは夢だと気付いた。夢だと気 […]
最近の投稿
アーカイブ