第六夜

大根の剣に大葉を敷いた上へ赤紫色の鰹の刺身を盛り付けた皿が、看板娘の白い、しかし水仕事でやや荒れた手で目の前に差し出された。礼を言いながら、一人座るカウンタ席の気安さでお絞りを脇へ退け、そこへ置かせる。ごゆっくりの声に適当な返事をしながら席醤油を小皿に注し、箸で一切れ摘み上げる。赤紫色の身はよく見れば脂が乗って、店の電球の灯を虹色に反射して見える。半分まで醤油を付け口へ運ぶ。醤油の香りと塩気、鰹の赤身の容易にほぐれる歯触りに脂のコク、喉越し。箸を置いて、グラスに残った麦酒をあおると、独特の苦味と炭酸が口内に残った脂を洗い流してくれる。

中瓶から手酌でグラスに麦酒を注ぎながら、次は山葵か生姜を付けて食べようか、妻には珍しくノビルが付いている、随分ご無沙汰だったから楽しみだが、箸を付けるのはもう少し後に回そうかなどと考えていると、背後の卓の声に我が耳を疑った。
「兄さん、今まで何人斬ったんですか?」
と若い声が言ったのが聞き間違いでなければ、これ以上無いほどに物騒な話である。刻み生姜を鰹へ乗せ、醤油皿へ運ぶ。
「何人って、お前、そんなのいちいち覚えちゃいねえよ」
と、「兄さん」らしき少し年配の、酒焼けした声が面倒そうに返した。
「俺は覚えてますよ。というか、手帳に記録してますもん」
「ああ、熱心なのはいいことだけどな」
「実際斬ってみなきゃ分かんないことって、結構多いというか、そんなことだらけというか……」
「人っていうのは本当に、人それぞれだからナァ」
グラスの中の金色の液体を喉へ流し込む。
「何人くらい斬ったら、一人前なんですかねぇ」
「馬鹿野郎!」

大きな声に思わず首を竦めて振り返ると、パーマを当てた茶髪の男性がバツの悪そうな顔をして拝むように片手を立て、周囲の客に順番に謝罪の意を表しているのと目が合って、私は曖昧に頷き返した。カウンタ席に向き直り、下ろし山葵を鰹に乗せる。
「お前な、俺の言うことをどう聞いてたらそんな台詞が吐けるんだ?何人斬ったら一人前、なんてな、そんな考え方してる間は半人前だ、馬鹿野郎」
と、低く抑えてはいるが有無を言わせぬ厳しい「兄さん」の言葉に、若い声はその通りだった、申し訳ないと恐縮して謝罪した。そして一呼吸置いてから、
「ああ、なんだか早く切りたくなってきました。ホラ、あのカウンタの人とか、斬り頃じゃないですか?」
と宣う。口に含んだはずの山葵の香りも何処かへ行ってしまい、二人の会話ももう耳に入ってこなかった。二人が酒席を終える前に、さっさと店を出ることばかりを考えるうちに、ノビルも味噌も舌の上から喉を通り過ぎて胃の中への移動が完了していた。

伝票を手に席を立とうとしたその時、背後からトントンと肩を叩かれた。振り返ると「兄さん」が、にこやかな笑みを湛えて、お食事のところ不躾ですがと名刺を差し出して、
「近所で美容室を営んでおります……」

そんな夢を見た。

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