第八百五十九夜

 
 春休みも半ばとなった朝、嫌な汗を掻きながら部屋の本棚を片端からひっくり返している。学校に併設の児童図書館で借りた本の返却期限が今日なのだが、うち一冊がどうしても見当たらない。いつも借りてきた本を並べている学習机の本棚にはもちろん、普段は自分の本しか収めない壁際の本棚に並んだ背表紙を上から下まで一冊ずつ指さしながら確認しても、やはりその一冊だけ見当たらない。
 箪笥の抽斗を片端から開けて服を引っ張り出しても当然、無い。友達と遊ぶなり習い事なりで外出するときに持ち出した記憶も無いが、念の為にカバンの類を確認してもやはり無い。
 ふと目に入ったランドセルの中を、まさかと思いながら確かめると、
「あった……」
と思わず声が出た。借りた本は必ず机の本棚へ仕舞う癖が付いているのに、どうしてこの本だけランドセルにあったのか。本の内容はしっかりと覚えている。ランドセルから取り出し忘れていたのなら読んでいるはずもなく、読んだのならランドセルに仕舞うはずがない。
 もやもやしながら他の本と一緒に手提げカバンに仕舞い、在宅ワーク中の母に声を掛けて返却に出かける。
 ちらほらと桜の咲く通学路を久し振りに歩いて児童図書館に着き、顔見知りの司書の小母さんと挨拶を交わして手提げから本を取り出す。
 と、一冊足りない。先程ランドセルに発見した本がない。あたふたとカバンを探る私を落ち着かせ、どうにか事情を把握した彼女は、
「ちょっとまってね」
とカウンタの中のパソコンを弄り、
「やっぱり。その本、三日前に返却されてるよ?」
と微笑む。そんなはずは無い、今朝ちゃんとカバンに入れてきたのだと頑張ると彼女はカウンタから出てきて迷いなく書架の一角へ向かい、後を付いて行く私に、
「ほら、この本でしょう?」
と一冊の本を取り出して、まさに今朝私の探していた表紙を見せて優しく微笑んだ。
 そんな夢を見た。

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