第八百五十八夜
美容院というものは平日の昼間でも結構混み合っているものなのだなと、十八年の短い人生の中で初めて知った。或いはこの店が特に人気店であるとか、平日の中でも今日が特に混み合いやすい曜日だとかの事情があるのかもしれないが、初対面の店員に尋ねてみることは憚られる。
四月からの新生活に向けての引っ越しを終えた週末、手伝いに来てくれた三つ離れた兄の彼女に一人暮らしのアドバイスをもらった。新しい生活が始まって忙しくなる前に、食料品でも何でも近所に行きつけの店を探しておくようにとの助言があり、その一つに美容院を挙げていた。ネットで口コミを確認して客層やら予算やらを加味して予約を取ったのがこの店だ。
綺麗なお姉さんは私の表情から人見知りを見抜いたのか、差し障りのない話題を振って緊張を解してくれた。
程よく力の抜けたところで、
「何か趣味とか好きなものとかってありますか?」
と尋ねられ、
「ちょっと季節外れですけど、怖い話とか結構……」
と答えると、社交辞令か本心か、私もだと喜んで、どんな怪談が好きかと盛り上がる。
「美容師っぽい話とか、実体験とかありませんか?」
と尋ねると、
「前に勤めてた店の話なんだけれど……」
と言って一瞬手を止め、鏡越しに私の目を見る。
「その店にはね、一枚だけ特別な鏡があって、たまにその鏡に顔が映らないお客さんがいるの」
「鏡に映らないって、吸血鬼映画とかでよくあるみたいにですか?」
「ううん、あんな風にまるきり透明になっちゃうんじゃなくて、焦点が合わない写真みたいに顔がぼやけちゃうの」
「え、気味が悪いですね」
「うん。でね、そうなっちゃったお客さんは、どんな常連さんでももう二度と見せに来なくなっちゃうの。座ってたお客さんにもぼやけて見えたて気味悪がるのかと思ってたんだけど、店を出た途端にバイクに轢かれて亡くなったお客さんがいて……」
「亡くなる方がわかる鏡ってことですかね?」
「うーん、それで気味が悪くなって辞めちゃったからわからないけど……」
と彼女は一度言葉を切り、悪戯っぽく声の調子を落として、
「もし鏡の中の美容師となかなか目が合わないことがあったら、事故には気をつけたほうがいいかもね」
と鏡の中の私を見つめた。
そんな夢を見た。
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