第八百五十七夜

 
 年度末の仕事量に押されてここ数日、帰宅が深夜になっていた。近所の量販店の閉店時間が午後十時で、冷蔵庫の中身が枯渇しているため、仕方なく最寄りのコンビニエンス・ストアへ軽い晩酌の肴と明日の朝食とを買いに寄る。
 幹線道路とそのバイパスとを結ぶ比較的大きな道路の脇に広い駐車場を持つ店だからだろう、運転手の利用が多いらしくこの時間でも数人の客が居た。
 入口で買い物カゴを手に取って、買うつもりもない雑誌の棚を眺めていると、店の奥の方から、
「ちょっと姉ちゃん」
と声がする。そちらへ振り返るとそこは奥まったトイレの入口前で、筋肉質の大きな体をした三十路の男が無精髭を生やした顔を青ざめさせ、眉を八の字にしてこちらに手招きをしている。
 普段の街中でのことならむしろ逃げ出す状況だが、夜とはいえコンビニの店内だし、何より彼の困り顔が真に迫っていて、無視して放って置くには余りに気の毒に思え、
「どうかしましたか?」
と尋ねながら近付く。
 青い顔をした彼は、彼の前に若い女がトイレに入ったきりもう十五分は出てこない、ノックをしても返事もないどころか中で人の動く気配もないと早口で説明する。彼に請われるままにレジへ行って店員に事情を説明すると、
「すぐ行きますんで、ちょっと待ってて下さい」
と、パンクな髪色をした女性の方がバックヤードへ姿を消し、針金ハンガーを手に戻ってきてトイレへ行く。
 彼女は直角に曲げられたハンガーを扉の隙間に突っ込み、
「開けますよー」
と気持ち大きな声を出してからそれを跳ね上げて扉を開ける。金属の棒を回転させて閂にするタイプの簡単な鍵で、
「強く閉めると勢いで勝手に掛かっちゃうんで、前の人が出できたときにそうなっちゃたんでしょう。割とあるんです、ウチの店」
と説明しながらトイレに誰も居ないことを確認した彼女へ、
「いや、女の人が入っていくのを見たんだけど」
と男性が声を掛けると、
「この時間ですから、お疲れだったんじゃないですか?」
と無表情に小首を傾げて背を向ける。彼も腹具合が限界だったのだろう、それ以上食い下がることなく、私に一言礼を言うとトイレに入った。
 そんな夢を見た。

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