第三夜

まだ肌寒い初春の午後である。陽溜まりに腰を下ろし、右膝を抱えるようにして足の爪を切っていると、窓越しに
「ちょっと、あんた」
と声がした。威勢のよい八百屋か魚屋の女主人を連想させるその声の有無を云わせぬ強制力に膝頭に載せた顎を回して庭を横目に振り返ると、春先の桜の若葉に似た鶯色の小鳥の、貧相な梅の木に止まっているのと目が合った。
「おや、目白か」
「おやじゃないよ、何だいこの梅は」

どうやら庭の梅に花が咲かぬのにご立腹の様子である。が、何だと云われても困る。私はこの部屋を賃借りしているだけで庭のものには何の権限もない。だから文句を云うなら大家へと諭すが、目白はくるくると嘴を振って納得しない。

この梅は去年だって一昨年だって花を咲かせていない。まだ若くて大きくもないけれど、花を付けない歳じゃない。これはここらの野良猫共が根本を便所にしているからだ。それで土が悪くなって、根が弱っているからだ。他の世話は要らないから、その灰皿の灰を集めておいて週に一度は根本に撒け。それくらいならまさか大家も怒るまい。

鶯と間違われるくらいだから、てっきり目白というものは口数の少ないものと思っていたが、彼女は忙しなく梅の枝を跳ねながらピーチクパーチク、嘴の休む間もない早口にそんなことを云った。たったこれだけのことを伝えるのに彼女は自分の心持ちをたっぷりと付け足し、それに一々最大限の形容詞を盛り付けて喋るものだから手に負えない。珍しいものを見たという好奇心も彼女の無駄話にすっかり萎え、早く爪切りを再開したいと抱える膝を交代するのに鶯から視線を切ったそのときだった。
「ああそうだ。梅にはあんたが名前を付けておやんなさいな。そうしたら、灰を撒く前にはその名前を呼んだ後、こうして呪文を唱えなさい。一度きりしか云わないから、きちんと覚えるんだよ……」

呪文という言葉に再び興味を惹かれた私が見たのは、隣家の塀から跳び掛かるも、すんでのところで取り逃がしたという体の野良三毛だった。じっと二秒だけ私の目を見つめてから、如何にもつまらなさそうに踵を返すとひらりと塀に跳び上り、足音一つなく歩いて行く。

そんな夢を見た。