第八百十七夜
皿のサンドウィッチを食べ終わり、幾分温くなった珈琲の紙コップを手に席を立ち、ガラス張りの喫煙スペースに入って煙草に火を点けた。午後の予定と必要な資料を頭の中でおさらいしながら、空気清浄機へ吸い込まれる紫煙を眺めていると、視界の端に女性店員が階段を上ってくる様子が見える。
階段を上りきると立ち止まり、周囲を軽く見回して再びこちらへ歩み始める。喫煙スペース近くの席に番号札を立てた客がいるから、手にしたトレイの上のホット・スナックを持ってきたものだろう。
数歩歩いて彼女がたたらを踏む。足元に置かれたリュックの肩紐に足を取られたらしい。彼女はなんとか踏みとどまるが、トレイから皿が滑り出る。
――ああ、やった。
そう思うや否や、腰の辺りの高さで皿とホットドッグがピタリと止まり、直ぐ手前に座っていた初老の男性がそれらを掴む。自分の足元を振り返っていた店員が前を向くと、彼女は一瞬目を丸くしてその皿と男性とを見比べ、何度も頭を下げて礼を言い、それが済むと再び振り返って荷物を引っ掛けてしまった学生らしき若い男性にまた何度も頭を下げる。それも終わると漸く番号札の客にトレイを差し出し、帰り途でまたそれぞれの客にお礼とお詫びをしながら階段を下りて行く。
初老男性の目にも留まらぬ早業、というわけではなかった。皿とホットドッグは確かに空中で静止し、彼はごく当たり前のゆったりした動作でその皿を掴んだ。ちょうどその辺りの空間を眺めながら記憶の中の光景と重ね合わせていると、振り向いた男性と目が合う。
すると彼は眉を跳ね上げ、読んでいた文庫本をそそくさと鞄に仕舞い込み、トレイを手に席を立って階下へ姿を消してしまった。
そんな夢を見た。
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