第七夜

柳の木に背を預けて、ぼんやりと水面に糸を垂らしていると、
「どうですかい」
と右手から声を掛けられた。振り返ると小綺麗な格好のお侍さんが笠をちょいと持ち上げて微笑んでいる。左脇に置いていた魚籠には二匹の小さな鮒がいたので傾けて中を見せると、彼はほうと大袈裟に感嘆の声を上げ、
「ご一緒してもよろしいですかな」
としゃがみ込む。偉そうに木に踏ん反り返っているのも気が引けてその場を譲ろうとすると、自分が後から来たのだ、良い場所にご一緒させていただくのだからと云って遠慮する。

随分腰の低いお侍さんだと興味を持って、二人柳の根本に左右に並んで腰を下ろし、水路に釣り糸を垂れることにした。あちらが丁寧に答えるものだから、こちらもついつい調子に乗ってあれこれ詮索するのだけれど、それも嫌な顔ひとつせずに丁寧に答えるもので、二人して柳の隣で尻に根が生えた。

聞けば、近頃お役目が変わってそれはまあ出世なのだけれど、慣れない書き物仕事は肩が凝る、また直接は云わなかったけれど、人と人との関わるところには面倒臭いところ、醜いところも見えてくるものでお疲れだったのだろう、今は亡き父上が子供の自分を遠ざけて「釣に行く」と云っていたのを思い出し、四十の手習い、ものは試しと梅雨の明けた頃から水面を眺める様になったという。

話し込むうち陽が傾いて、柳の木を抜けて差し込む夕陽の筋に、羽虫の姿が目立つようになった。夕間詰め、喰い入れ時である。自分は一人で喰うにはもう十分、お侍さんの釣るのを側で手伝おうと申し出ると、釣果の芳しくない彼はかたじけないと悔しそうに頭を下げたが、その顔はすぐに一変、まさに入れ喰いで魚籠は見る間に一杯になった。

楽しい時の過ぎるのは速いもの、陽もすっかり傾いて黄昏刻となったので、今日はこれくらいでお仕舞いにと云うが、すっかり楽しくなってしまった彼はもう一匹だけ、もう一匹だけときりがない。仕方がないのでこんな話を切り出した。
「本所の七不思議に、『置いてけ堀』てぇ話がありましてね」
「ほぅ」
「辺りが暗くなっても尻の長い釣り人に、河童だか狸だかが、『置いてけ、置いてけ』と声を掛ける。そこで魚を放して逃げ帰ればそれで良し。もし欲の皮の突っ張るのに任せて魚を持って帰ろうとすると、堀に引き摺り込まれて尻子玉を抜かれるとか、いやいや化かされて大変な目に遭うだとか。兎に角、これ以上の長居は灯の準備も無いでしょう、帰り道の足元も覚束無いんで、利口じゃありませんよ」
それを聞いた彼は納得するどころか、相変わらずの穏やかな笑顔の前で、竿から離した左手を振ってみせる。

曰く、そんな話は眉唾だ。きっと無益な殺生はいかんと云う、坊主が子供にする説教だろう。家の者みんなに喰わせるにはこれでも足らんから、今日の釣が無益な殺生であるわけでなし。ただ、暗いというのはその通り、灯も無しに夜歩きするものではないな。

そう云って漸く竿を引き上げ、ずっしりと重くなった魚籠を手に水路を背にすると、別れの挨拶と次に釣を共にする約束とを交わす。
「では」
「さらば」
と互いに背を向けたときである。水面から「ギチギチギチ」と、悔しそうな音が響き渡った。振り向くと彼もまたこちらを振り返って互いに顔を見合わせるが、紫紺に暮れる中のこと、その顔色までは知れない。

そんな夢を見た。

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