第八百二十六夜
秋の陽は釣瓶落としと言うけれど、もう冬至も近付いて校門を出る頃には既に西の空が赤くなっていた。どんどん暗くなる山道を谷を一つ尾根を一つ越えなければならないと思うと漕ぐペダルに力が入る。
寒さや暗い事自体には慣れっこでも、山道に転がる落下物は慣れでどうこうなるものではない。吹き溜まりに幾らか積もった落ち葉でも踏めば車輪が簡単に滑るのだ。
そういうわけで森から染み出る湿った冷気の中を飛ばしていると、不意に生臭さが鼻を突く。かつて登下校の最中にこんな臭いを嗅いだことなどなく、瞬時に得体の知れぬ恐怖を感じてペダルを漕ぐ脚を止める。ゆっくりとブレーキを握って辺りを見回す。夕陽はもう山の端に掛かり薄暗い。溜池へ続く脇道が少し先に見える。その池の掻い掘りでもしてヘドロの香りが降りてきているのだろうか。
そのまま脇道の入口へ自転車を停めて落ち葉の厚く積もった山道を歩く。足元の明るいうちに山道を抜けてしまいたいのに、何故そんなことを始めたのか、自分でもわからない。臭いの正体を確かめたいなんてつもりは毛頭ない。
暫く進むと顔に蜘蛛の巣が掛かった。こうなるともう、今日掻い掘りがあったなんて可能性はほとんど無いだろう。引き返そうかと思いながらも数歩を歩き、そこで遠くに溜池が見えた。山中の林の中で唐突な緑色の柵の中、学校のプールの半分ほどの面積の水面が林の風景を反射している。柵にはところどころ破れがあって、どんなに禁止されても子供たちが釣りに来る。
普段と変わらず水を湛えた姿からやはり掻い掘りなどなかったことは明らかで、池に近付くほど強くなる臭気の正体こそ不明だが、もうこれ以上池へ近付く意味も無かろう。
引き返そうとすると、網の上から鴨が水面へ降りてきた。と思うまもなく僅かな水音とともに鴨が消えた。何が起きたのか理解できず、一瞬体が硬直し、全身から脂汗が吹き出して、山道を逃げるように走った。
そんな夢を見た。
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