第七百六十四夜
たまの休日に遅く起き、顔を洗ってさっぱりしたところで昼前から酒でもと冷蔵庫を開けて、酒のストックを切らしていたことに気が付いた。この小さな贅沢のツマミに昨晩、出来合いの惣菜を買っておいたのに何たる失態か。
仕方なく簡単に身支度を整えて部屋を出て、ごみごみした繁華街の裏路地を見下ろす共用廊下へ出てエレベータの呼び出しボタンを押す。地方都市の細長いビルで築年数は親の年齢くらいだったか、狭いながらも駅からの近さと家賃の安さに決めた部屋は十二階建ての八階で、よく晴れた春の風も心地よい。
下から上がってきたエレベータに乗り込んで振り返り、一階を押すと少しの間があって扉が閉まる。低いモーターの作動音とともに身体に加速度が掛かり……小さな唸りが聞こえて停止した。
扉の上のランプは六階を示している。誰かが乗り合わせてくるのかとエレベータの後部へ一歩下がる。が、そもそも扉が開く気配がない。まさか故障だろうかと思うと全身の毛穴が開いて脂汗が滲んでくる。操作盤の上部の非常用連絡ボタンを、生まれて初めて押してみると、昔懐かしい金属のベルの音が鳴る。注意書きの通り押し続けるが、即座に返事の来るものではないようだ。とはいえ、閉じ込められた恐怖に比べれば耳に金属音の刺さるくらいどうということはない。早く出てくれと祈りながらボタンを押し続ける。
一分か二分だろうか、体感的には随分と待たされた印象だったが、落ち着いた女性の声がスピーカから聞こえて全身の筋肉が緩むのが自覚される。幸いにも十分程度で作業員が到着すると言われ、肉体より一足先に心が開放感に満たされる。有難うございましたとオペレータに礼を言う心の余裕も生まれるというものだ。
ところが彼女から返ってきたのは、
「使用禁止の看板の立てられているときは、たとえボタンに反応して扉が開いても、絶対にお乗りにならないでください」
とのお叱りの言葉だった。
自分は八階から乗ったが、そんな看板はなかったと返すと、このエレベータは昨晩故障し、修理作業員の業務時間までの緊急対応として、一階から動かぬよう設定したうえで一階の扉の前に使用禁止を表示しているはずだという。他の階のボタンが押されても反応して動くことはないはずなのだがと彼女は言葉を濁してしばしの沈黙の後、不手際があったようで申し訳ないと型通りの謝罪の言葉を口にした。
そんな夢を見た。
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