第八百二十一夜
満員電車の蒸し暑さが嫌で薄着で出掛けたは良いものの、夕方に通り過ぎた前線のお陰で風が急に冷たくなって、帰宅するころにはすっかり体が冷えてしまっていた。電子錠に触れて扉を開けて荷物を置く。リモート・キィは自室の電子錠の鍵で、荷物から取り出さずとも携帯していれば錠側のタッチパネルに触れるだけで解錠できる仕組みで、荷物の多いときなど特に快適だ。
そのまま給湯器を操作して湯船に湯を張らせる。暖房を入れて空気が乾くのが苦手なので、自室では厚着で冬をしのいでいる。上着を脱いで部屋着にしているオーバーサイズのニットを羽織ると幾分マシにはなるものの、却って脛から爪先の冷えが意識に上ってくる。
スーパーの安売り弁当を荷物から取り出して電子レンジに入れ、五分をセットしてスイッチを押し、それを待つ間に買ってきたその他の食料を冷蔵庫に片付ける。
一通り荷物の片付いて冷蔵庫の扉を閉めると、ちょうどスマート・フォンに通話の着信音が鳴る。友人も家族ももうほとんどはメッセージアプリでの遣り取りになって、電話の着信など滅多にない。どうせセールスやら名簿屋からだろうと思いつつ、念の為に発信番号を見る。と、案の定見知らぬ番号だが、市外局番のある固定電話で、よく見れば下三桁が一一〇番だ。警察のお世話になるようなことをした覚えはないが、放置するのも気持ちが悪い。
僅かに躊躇ったものの電話に出ると相手は某交番を名乗り、次にこちらの名前を確認した後、
「実は、キィ・ケースの遺失物が届けられていまして」
と本題を切り出す。アウトドア用品ブランドの比較的大きなのもで、中に幾つかの金属の鍵とプラスチック製のリモート・キィ、それに名刺と、緊急時用に折り畳んだ一万円札が入れてある。警官はその外観と入っていた名刺から私へ連絡した旨とを説明した後、中身について尋ねる。私が本当にその持ち主かの確認ということだろう。
実家の鍵と事務所の鍵……と説明すると、外面も中身も確かに一致していて確かに本人らしいということで、交番まで引き取りに来てほしいという。できるだけ急ぐと伝えて電話を切り、いつの間にか温めの終わった弁当を冷蔵庫へ仕舞い、風呂の給湯を停める。仕事用の荷物はいらぬ。鞄からキィ・ケースを取り出し、上着を外着に着替えてそのポケットに突っ込み、スマホを手にして靴を履きそのまま部屋を出る。
パネルに触れ、錠の掛かる音を確かめてエレベータへ向かって歩き出す。
――ん?
上着のポケットに仕舞ったキィ・ケースの手触りを確かめながら引き返し扉を引くと、たしかに鍵は掛かっている。パネルに触れば解錠され、ポケットからキィ・ケースを取り出してまじまじと見詰め、ノブを引けば扉が開く。
首をひねりながらも、約束をした以上は警察には向かうべきかと、もう一度施錠して出かけることにした。
そんな夢を見た、
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