第七百二十夜

 

 夕飯の買い物に出かけようとして、家の前の銀杏並木の落ち葉が気になった。それを掃いていると隣家の車が帰って来る。運転席の旦那さんの後ろのチャイルド・シートに幼稚園の息子さんが座り、その膝に乗せた大きなクーラー・ボックスを嬉しそうに撫でている。バックで車庫へ入って行く助手席に、ツバの広い麦わら帽子を目深く被った女性が座っているのが見え、互いに軽く会釈をする。

 家の前の落ち葉を概ね掃き終えると、車庫から出てきた旦那さんが釣果をお裾分けするから少しだけ待っていてくれと言う。お礼代わりに隣家の前を掃きながら待つと、ものの数分で簡単に捌いた魚をビニル袋に入れて旦那さんが出てくる。

 互いに礼を言い合って、
「一家で釣りでしたか。今日はどちらへ?」
と尋ねると、
「いえ、今日は妻が同窓会で朝から出掛けておりまして、息子と二人で。妻が船酔いをするので、今日は久し振りに釣り船に」
と言う。

 おや、それなら先程助手席に見えた麦わら帽子はどなただろう。詮索するのも失礼かとその疑問を口にするつもりは無かったのだが、顔に出ていたのだろう、
「ひょっとして、助手席に見えました?」
と旦那さんの方から切り出して苦い顔をする。
「ええ、大きな麦わら帽子を被った方が」
と答えると、
「実は、今年の春に今の車に買い替えてからなんですが……」
と眉根を寄せる。

 趣味の釣りのこともあり、子供が大きくなることも見据えてちょっと贅沢な車を中古で買ったのだが、幼稚園の送り迎えに車で行くと先生に同じことを言われるようになったという。乗っている自分に何が見えるでもなく、機械的なトラブルが起こるわけでもないので割り切って乗り続けているのだけれど、
「幼稚園から持って帰ってきた息子のお絵かきにも、端の方に麦わら帽子が描かれるようになってきて……やっぱり手放した方がいいんでしょうかね」
と、彼は伏し目勝ちに頬を掻いた。

 そんな夢を見た。

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