第十五夜
車内アナウンスで次のバス停の名前が告げられ、降車ボタンを押すよう促されて右手を持ち上げると、先に誰かがボタンを押したようで
「次、停まります」
の声が車内に響いた。
程なく停車し、大学生くらいの五人組、仲の良さそうな老夫婦、私の順で下車する。皆観光客のようだ。
バス停の先にから声がするので振り向くと、小豆色の小型バスを背に、小柄な初老の男がこちらへ小走りに駆けてくる。日に焼けた顔や手は皺が寄っていながら、観光客の誰よりも生き生きと夕陽を照り返して見える。
「ようこそいらっしゃいました」
そう柔和な笑顔で頭を下げる男は、山奥の宿の主人であった。先程のバス停で降りた者は、皆この主人の宿で一夜を過ごす客ということで、簡単に自己紹介をし合う。
案内されるままに小型のバスへ乗り込み、川を左手に見ながら上流へ向かう。暫く車を走らせた主人は、
「皆さん今日はもうお疲れでしょうか。まだ陽がありますから、寄り道をなさいませんか」
と横目で車内を振り返りながら提案する。一人の娘が、何か観光名所が近いのかと尋ねると、
「ええ、名の知れたところではあるんですが、ちょっとした不思議のあるところでして……」
と言葉を濁す。若者達は面白がり、年配の二人も折角だからと賛成して、バスは右折して川を離れ、山道へ入る。程なく行く先に大きな鳥居が見え、その手前の駐車場にバスを駐め、主人が皆に降りるよう促した。
双眼鏡を手にバスから最後に降りてきた主人は、神社の由来などを説明しながら客を本堂ではなく、その左の藪の方へ先導する。と、もう一つ小ぶりの鳥居が見えた。
その鳥居の側には一本の太い木が異様を晒していた。太くごつごつした根本から、およそ人の手の届く限界だろう高さまでびっしりと、鎌が打ち込まれている。鉄の肌を青光りさせる真新しいもの、赤錆びて柄も腐っているもの、よく見れば柄の腐り果てて鎌の先だけが真っ赤に錆びながらもなお木肌に食い込んでいるものまで、百や二百では効かないだろう。
「鎌八幡様と言いまして……」
子宝や合格祈願など、他人への恨みつらみ
とは関係のないものなのだと説明し、気味悪がる皆をなだめる主人に、私は
「それで、不思議があるというのは……」
と尋ねてみる。
「ええ、あちらをご覧下さい」
と、主人は夕陽の反対側、既に紫色に暮れかかった空を指差しながら、直ぐ側に立っていた老婦人へ双眼鏡を渡す。
「背の高い杉が並んでいる中に、一本だけ、ほら、枝の無いところがあるでしょう」
そう言われて指先を見ると、神社の裏山の林の中、五、六本並んだ背の高い杉の木の先端から三メートルほど下の一部だけぽっかりと、枝葉のない剥き出しの幹を晒しているものが見つかった。病気か何かかと思い、それを口にしようとした瞬間、
「鎌!」
と老婦人が叫び、隣の亭主に双眼鏡を渡す。一本だけだが、この木と同じように赤錆びた鎌の先だけが、深々と幹に食い込んでいるのだという。
皆で順に双眼鏡を覗き込み、確かに鎌のように見える、何故あんなところにと不思議がった。背の高い若い男が宿の主人に、
「若い木の地面近くに鎌を刺して、あの高さに成長するまで、何年くらい掛かるものですか」
と尋ねると、宿の主人は、
「いや、いや。木というのはですね、幹の先端近くの細胞が増えて大きくなって、それで上へ上へと伸びるんです。だからほら、さっきの樫の木の鎌は、古く錆びたものも皆、人の手の届くところにしかなかったでしょう」
と言って、満足そうに頷いた。
そんな夢を見た。
*この物語はフィクションであり、実在する鎌八幡宮その他の施設とは関係ありません。
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