第八百四十二夜

 
 大学受験のために東京近郊の親戚の家へ泊まることとなった。都心まで電車で四十分ほどで、試験前によく目を覚ましておくにはちょうどいいくらいの距離といえるだろうか。
 最寄り駅の駅前は結構キレイに開発されているのだが、親戚の家はそのロータリィから十分ほど山間へ入ったところにある。沢や町を見下ろす景色の美しい斜面に、その家は建っていた。母方の叔母が嫁いだその家は地域の氏神の神社の神主の家系で、さらに上へ登ったところにある神社を管理しているそうだ。
 GHQのあれこれで幾つも山を取られたというがそれでも代々羽振りがいいそうで、
「妹は私と違って要領がいいから、いい旦那さんを捕まえたのね。あんたも受験が終わったらあの子にコツを教わってきなさい」とは、今回の宿泊の予約を取り付けてくれた母が父に聞こえぬよう私に耳打ちした言葉だ。
 最寄り駅へ着いてメッセージ・アプリで叔母に連絡を入れると、既に旦那さんと駅前へやってきて待っていてくれたと言う。直ぐに高級外車がロータリィへ入ってきて、後部座席に乗るとその内装の質の高さに思わず溜息が出た。
 志望校や学部について質問をされながら少し走るとやがて家へ着き、玄関で叔母とともに降ろされる。床が地面から一メートル以上は上がっていて、
「まるで神社そのものみたいですね」
と素直な感想を漏らすと、奇妙なのは外観だけで、他は普通の家と変わらないと笑う。パンパンに膨らんだボストンバッグを持って家へ上がり、これから一週間泊めてもらう部屋へ下ろすと、叔母は思い出したように、
「あ、ごめん。一つだけあったわ」
と頭を掻く。なんのことかと尋ねると、
「この家の変なところ。この部屋ね……」
と言って隣の部屋との間の襖を開け、暫く黙る。鈴虫の声が沈黙に割り込んでくると、
「聞こえた?」
「え?」
「鈴虫。こっちの部屋ね、何故か一年中鈴虫の声が聞こえるの。襖を閉じていればこっちの部屋では聞こえないから、安心してね」
と襖を閉めると、確かに涼やかな高音はぴたりと聞こえなくなった。
 そんな夢を見た。

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