第八百三十八夜

 
 遅刻ギリギリになって教室に入り、急ぎマフラを解いているうちに先生が教室に入って来た。畳んだマフラを鞄に詰め、コートから腕を抜きながら席に着いて前を見ると、教壇に立っていたのはいつものジャージ姿の担任ではない。
 白衣姿の痩せた副担任は教室を一瞥すると、何かあったのかとざわめく教室へ静かにするように告げ、
「えー、今日先生は体調不良のためお休みです。数日で戻られるでしょうから、それまでホーム・ルームは僕が担当します」
と宣言する。
 インフルエンザか、いやいや馬鹿は風邪を引かないからそんなはずはない、インフルエンザは風邪なのか、この前占い雑誌に女難の相が出てるって言っていたからきっと女に振られて寝込んでいるんだ、振られて寝込むほど繊細な神経なんて通っているはずがないだろう。口々に好き勝手を言う教室を生徒名簿で扇いで静め、
「先生は事故で怪我をなさったんだ」
の一言で再び教室がざわめく。
「不幸中の幸いというか、怪我自体はそんなに大きなものではないんだ」
と大きな声で騒ぎを制し、
「昨日、近くの繁華街で飛び降り自殺があったのは知っているか?先生はそこへ買い物に行っていたんだそうだが、そこで飛び降りに巻き込まれたんだ。幸い左肩を掠めるように当たっただけで、酷い打撲ではあるものの大したことはないんだって」
と言うとそれきり黙って教室を見渡す。
 皆もこれまでとはうってかわって大きな声で話すことをやめ、ほとんどが黙り、一部が遠慮勝ちに小声で意見をやり取りするに留まった。その静かな教室を、
「結局、女難の相って当たってたってことなのかな」
という誰かの囁きが通り抜けた。
 そんな夢を見た。

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