第八百三十六夜
正月休みに帰省して二日目の大晦日の夜、除夜の鐘を聞きながらテレビの年越し番組を観るともなく観ていると、
「あんた、もう十一時を回るから、さっさとお風呂、入っちゃいなさい」
と母に急かされた。
一人暮らしを始めて以来、寝る直前に風呂に入る癖の付いていてすっかり忘れていたのだが、この家には「午後十一時を過ぎて風呂に入ってはならない」習わしがあったのだ。
「あれ、やっぱりまだ続いているの?」
と尋ねると、
「そりゃあ、原因もわからないし、何を対策したわけでもないものさ」
と、黙って蜜柑をつまんでいた父が言う。
「じゃあ」と席を立って寝間着と着替えを部屋に取りに行き、洗面所兼脱衣所へ持っていって服を脱ぐ。
脱いだ服を放る洗濯かごの脇の磨りガラスの戸が問題で、風呂に入っているとふとした瞬間にその戸の向こうを人影が横切る。髪を洗っていて気配を感じて振り返ると……とか、湯船に浸かっていると視界の端に……とか、そういうことが起きるのだ。
始めにそういう異変を訴えたのは母だったが、
「お父さんに相談してみれば?」
という幼い私の提案を、
「嫌よ、いい歳してって笑われるもの」
と却下した。ならば私が代わりにと、夕食の際に父へ「洗面所に幽霊が出るみたい」と訴えると、しかし彼は、
「なんだ、知らなかったのか」
と驚いていた。
彼の言うには、仕事で帰りが晩くなると決まってそれが見え、きっと疲れていると見えやすいのだろうと思っていたそうだ。ただ、当時のわたしはまるで経験がなく、母も父にあわせて晩くに風呂に入った日ばかりに体験するらしいことがわかった。そこで数日間かけて父が検証をして、「午後十一時を過ぎて風呂に入ってはならない」ことがお約束となった。
「気持ちが悪いといえば悪いけれど、実際時間さえ守れば合わないし、害がある理由度もないからねぇ」
と溢すかつての母の困り顔を思い出しながら、ガラス戸を引いた。
そんな夢を見た。
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