第五百三十九夜

 

早番の勤務を終える十分前、いつも通りに遅番の者とフロント業務の引き継ぎをしていると、その脇で電話が鳴った。

その呼び出し音の音色でそれが内線だとわかり、最も子機に近い私が反射的に受話器を取る。本体の画面には先頭に「二」、それに続いて四桁の部屋番号が表示されているのを確認しながら、
「はい、こちらフロントでございます」
と応対すると、
――……
と、無言の返答が返ってくる。空調の音さえない、全くの無音だ。手元の端末から部屋番号を確認すると、今は空室になっているはずで、清掃等の室内作業もとうに済んでいる。

そこで頭にぴんと来る。つい先日、主任がマニュアルに新しい項目を追加したといって、会議でその説明があった。無人の部屋からの内線が入った際の対応マニュアルで、万一お客様の命に関わる場合であるかもしれないため、基本的にはその手の連絡の場合と同様の対応をとること、ただし、何らかの犯罪の可能性を考慮して男性スタッフ二名以上を伴うこと等が定められていた。

無人の部屋からの内線なんて前提からして馬鹿馬鹿しいと思っていたのだが、同僚によると主任を含む五名が実際に体験した「事件」なのだそうだ。奇妙なバグもあるものだ。内線システムを売り込んだ側に、上の連中はちゃんと文句を言ったのだろうか。他人の仕事の不手際の尻拭いがこちらに回ってくるだけでもいい迷惑なのに、それがこのまま続くとなれば不愉快千万だ。

今集まっている六人には、例の「事件」の経験者の方が多いらしい。こちらを伺っている皆に、無人の部屋からの無言の内線だと伝えると、怯える者、溜め息を吐く者など反応は様々でありながら、しかし皆一様に「ああ、やっぱりな」という顔をしている。

覚えたてのマニュアル通りに部屋へ向かう三人の内、私を除いた二人は先日の事件の経験者で、呼び出しのあった部屋も同じらしい。エレベータ内でやっぱりシステムの故障かバグかなのだろうと話し合う。

部屋に着き、マスター・キィで解錠した扉を開けると、女性スタッフが小さく悲鳴を上げる。その肩越しに部屋を見ると、ご年配の女性が入り口の直ぐ側に倒れており、彼女はすぐさま救急マニュアル通りの呼び掛けを始める。その脇を通って電話機から受話器を取り上げると、矢張りというか奇妙にもというか、例によって内線が繋がっていて、部屋に女性が倒れていること、どうも応答がなく、救急車の手配が必要であることなどを手早く伝える。

研修通りの応急処置をするうちにストレッチャを押す救急隊員がやってきて、女性スタッフがその脇について状況を説明していると、喧騒が気になったのか隣の部屋からこれまたご年配の男性のお客様が顔を覗かせ、ストレッチャを見るなり女性の名を呼んで駆け寄る。

すっかり気の動転している彼とともにストレッチャがエレベータへ乗り込んで行くと、フロアは俄にしんと静まり返った。

同僚と二人でフロントへ戻り、そのまま裏の警備室へ向かう。エレベータ・ホールまで戻る途中、廊下の監視カメラが視界に入って思いついたのだ。倒れていた女性がいつ、どのように入れるはずのない部屋に入ったのか、カメラに残されているはずだ。

担当者に事情を話し、録画映像を遡ってもらう。我々三人が例の部屋を尋ねるところはすぐに分かる。それ以前へむかってさらに何倍速かで遡るが、ただただ無人の廊下が映るだけだ。速度を上げて二時間近く遡ったところで漸く人影が映り、再生速度をもとに戻す。

そこに映っていたのは、先程の女性と男性とが並んで後ろ向きに――逆再生だからこれは当たり前なのだが――エレベータホールから二人の部屋へと歩いて行き、そしてそのまま部屋に入る様子だった。
「お二人共、これ以降は先程の騒ぎまで、一歩も部屋を出ていらっしゃらないようですけれど……?」
と、担当者がこちらを振り向く。

部屋から出ていないはずの女性が、施錠されていた隣の部屋でどうして意識を失って倒れていたのか、どうしてその部屋から無言の内線が入ったのか、さっぱり訳がわからずに、私は同僚と顔を見合わせた。

そんな夢を見た。

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