第七百十五夜

 

大風の後片付けに男手が欲しいと実家に請われ、祝日前の夜に車を走らせて帰省した。

疲れているから明日の片付けのために早く寝たいというのを父に止められ、晩酌に付き合わされる。傍らではテレビの特番で、UFOやら幽霊やらの映像を特集した番組が流れている。昔から母がこの手の番組を好きで、よく妹が怖がっていたのを思い出す。

いい歳をしてまだこんなものを信じているのかと問うと、信じているのではなくエンターテインメントとして楽しんでいるだけだと言う。最近はこの手の番組が減り、それで競争原理が働かないのか質まで低下していると嘆いた後、
「どっちかって言えば、お父さんの方がこの手の話を信じてるのよね」
と母は父を見る。

三十年以上も息子をやっていて初耳だと言うと、
「オカルトを全部、そのまんま信じているというわけじゃない」
と苦い顔をした父は、
「昔、お前の曾祖父さんから聞いた話だがな」
と言って猪口に手酌で酒を注ぐ。

父がまだ小学生の頃のある夏の晩、父の祖父が実体験だと言ってこんな怪談をして聞かせたのだそうだ。

まだ彼が若く、村の消防団の下っ端だった頃のこと、河原に一人の遺体が上がった。直ぐに村の駐在と消防団の若手として彼ともう一人とが呼ばれた。山村なりの簡単な現場検証を終えると死因は溺死で、また身元のわかるものは持たなかったが、少なくとも遺体が村の人間のものでないことがわかった。消防団の二人が呼ばれたのは、まだ自動車の一般的でない時代のこと、団の大八車に遺体を載せて運べということなのだった。

小さな村で人付き合いも密だったから、彼とて近所の葬式で死体を見たことがないではない。しかしそれは死に装束に死に化粧をしたものばかりで、水死体など初めて見る。気味悪く思いながら駐在の指示に従って遺体を車に載せ、布を被せて山道を引くのだと思うと、遺体には悪いがぞっとする。

引くと言ってもどこへと問うと、こういうときは神社さんに決まっていると駐在が言う。村の中でも一等高いところにあるではないかとげんなりしながら車を引き、ようやく神社に着くと、既に話が通してあったらしく、神職が三人を待ち構えていた。神職は車に向かって手を合わせ、遺体を運び込む場所へ案内すると言って裏手へ歩く。

言われた通りに遺体を運び、さてこれで一仕事と思っていると、
「ご苦労様。早く女性の方も連れてきてあげて下さい」
と神職が言う。駐在が何のことかと尋ねると、
「ああ、それで。まだ見つかっていないんですね。こちら、心中ですよ」
と言って、大八車の傍らに向かって手を合わせた。
「それで、実際に女の人の遺体も上がったの?」
と問うと父は頷き、
「爺さんは兎に角、頭の硬い生真面目を絵に描いたような人でな、あれが小さな孫相手の作り話だったとは……」
と、仏壇を振り返った。

そんな夢を見た。

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