第六百十一夜

 

秋晴れの日曜の午後、スリッパを履いてゴルフの中継を聞き流しているのは駅前の鍼灸院の待合室だった。

眼精疲労か運動不足か、はたまた季節の変わり目か、ここのところ肩凝りが酷くて堪らないのだと先日部下にに愚痴をこぼしたところ、鍼灸院か整体でも試してみてはどうかと言われたのだ。万年文化部だった私とは異なり、元柔道部の彼にとってその手の存在は身近だったそうで、学生の頃から時折利用しているという。

しばらく壁に貼られた経絡図やら全身の筋肉の解剖図やらを眺めているうちに名前が呼ばれて施術用のスペースに通される。部屋は医者でよく見るような水色の布が張られたパーテーションで細長く三つに仕切られいる。その一番奥へと案内され、言われるがままにベッドに腰を掛ける。残る二つのスペースにも、きっとそれぞれに施術用のベッドが置かれているのだろう。更に奥にもキャスタ付きのパーテーションが置かれ、スタッフはそこから出入りするようだ。

受付で書かされた簡単な問診票を手にした先生と簡単なやり取りをするといざ施術ということで、頭を奥の方へ向けて施術台――先生はベッドと言わずにそう呼んだ――に俯せになる。

先生の手と言葉のなすがままに腕、肩、首を様々に動かしながらときに揉まれ、ときに押され、ときに揺らされとしているうちに、肩の周りが緩んで温かくなってきたように思う。血行が良くなった証拠ですと言われ、まあそうなのだろうと納得する。

時折声を掛けられる他にすることも無いので、パーテーションと床の隙間とに自然と目が行く。パーテーションの足元はキャスタが付いているから、床との間に数センチメートルの隙間があるのだ。その隙間を、時折パタパタと緑色のスリッパが通る。

それが結構頻繁なので、
「裏のスタッフさん、結構お忙しいんですね」
と先生に声を掛けると、手の空いた者から順次昼食休憩に入る時間だから、施術中のスタッフと受付くらいしか残っていないはずだと言う。そんなことはなかろう、
「さっきから、緑のスリッパが行ったり来たり、ほら、そこの下から見えたんですけど」
と両手が動かせないので顎で隙間を示す。それを聞いた先生は、
「ちょっと失礼」
と慌てた様子で奥に入り、程無くして首を捻りながら戻ってくる。どうかしたのかと尋ねると、
「いえ、おかしいんですけど、特に何もなかったんです」
と改めて首を捻り、自分の足元を指差しながら、
「うちでは、緑色のスリッパはお客様用なんです。スタッフは皆、茶色いスリッパで。だから奥に誰か入り込んでるのかと思ったんですが、まあ誰も居なかったんで、気にしても仕方ありませんね」
と、爽やかに笑って施術の続きを始めた。

そんな夢を見た。

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