第五百六十八夜

 

配送から帰ってきた新入りのドライバが、駐車場に車を停めるなり顔を真っ青にして事務所へと駆けて行った。
――ああ
とちょっとした予感がする。手元の仕事に一区切りを付けてから、事務所へと様子を見に行くと案の定、
「あの車、何なんですか」
とドライバが声を荒らげている。

彼の話を要約すると、概ね次のようになる。

まずこの車をあてがわれて初めて乗ったときに気付いたのが、車内の空気が冷たいことだった。冷たい雨の降る春先だったからかフロント・ガラスが曇っており、曇り消しにデフロスタを入れると今度は生臭いような異臭がする。暫く使っていないときいていたからカビ臭いというのならわかるが、生臭いエアコンというのは聞いたことがない。それでも仕事は仕事、暇を見て芳香剤を買ってこようと思い、窓を細く開けて我慢して車を出した。

路上に出ても異変はあった。走っていると時折、フロント部分が鈍い音を立てるのだ。暫く仕事に走り回っているうちに、それが集配所近くの特定の交差点を通るときに限って起こるのだと気が付いて、以来わざわざ遠回りをしてその交差点を避けて走ることにした。

そして今日、例によってその交差点を避けて集配所に戻ろうとしたときのこと、何もないところで何かを轢いた。細い道を低速で走っていた割にフロントの立てた音は大きく重く、とても犬猫を撥ねたものとは思われない。死角で人でも轢いたのではないか。確認しようと慌てて車を脇に寄せて停めようとしたところ、助手席側の窓に血塗れの子供が張り付いて、虚ろな目でこちらをじっと見つめている。明らかに人でない。慌てて車を出し、集配所まで戻ってみればやはり車に何かを轢いたような痕跡はない。
「一体何なんですか」
と重ねて問う彼にお茶を出してなだめ、事務員と共に事情を説明する。

彼が採用されたのは、あの車に乗っていたドライバが辞職したためだった。卒業式シーズンのある日、ちょうど彼がおかしな物を見た辺りで一人の子供を轢いたと言って事務所に電話を掛けてきた。警察や救急への連絡とともに手の空いていた従業員が駆けつけると、しかし何処にも轢かれた子供の姿がない。それどころか車にも道路にも、そのような痕跡は全く見られない。結局、疫病禍で増えた仕事のストレスで幻覚を見たのだろうということでその場は収まり、彼は念の為に心療内科へ通うことになったのだが、程なく遺書を残して自殺してしまったのだ。
「その遺書には、何が書かれていたんですか」
と問う彼に、
「それがねぇ、自分が轢き殺した子供がいつも、どこでも自分を見てる。死んでお詫びをするって……誰も殺しちゃいないはずだったんだけどねぇ……」
と、事務員が首を傾げながら答え、
「だから、車に何かあるわけじゃないと思って放ったらかしだったんだけど、近々お祓いを頼むから……」
と、安易に辞めないでほしいと彼に頭を下げるのだった。

そんな夢を見た。