第二百九十四夜

 

バイトを終え、バックヤードで着替えていると携帯電話が鳴った。大学の友人の名前を確認し、イヤホンを耳へ刺して通話開始のボタンを押すと、何度も電話をしたのに何故出なかったと苦情が耳に飛び込んでくる。

バイト中だったからとだけ答え、要件は何かと訊ねると、一晩だけ泊めて欲しいという。一言目から文句を言朝食を作るからという言葉に胃袋が許可を出してしまう。家庭の事情で小さい頃から料理をしていたという彼女の料理の腕は、碌に家事を手伝ってこなかった私などと比べ物にならない。

私のアパートの最寄り駅前のコンビニエンス・ストアを待ち合わせ場所に指定する。彼女は私の了解を得る前から既に電車に乗り込んでいて、もう五分もあればそこへ着くという。
通話を切らないでという彼女を、自転車では危ないからと諭して通話を切り、バイト仲間に挨拶をしてバックヤードを出、一駅分の距離を自転車で走る。
――そういえば……
つい夕食に釣られて聞きそびれたが、平日の夜に突然泊めてくれとは、一体どういう風の吹き回しだろう。

暫くペダルを漕いで、やや気の重い理由に思い至ったときには、既に待ち合わせのコンビニに到着してしまっていた。

店内で青白い顔をした彼女を見付けると挨拶もそこそこに店外へ連れ出し、自転車の後われて苛立った頭では余程断ってやろうかと思ったものの、食材の費用は彼女持ちで夕食と部に乗せて深夜営業の大型量販店へ向かう。

重いペダルを踏みながら、
「例のストーカ?」
と訊ねると、沈んだ調子でうんとだけ返事が帰ってくる。コンビニから後を付いてくるような気配はないから安心しろ、落ち着いて夕食の献立でも考えながら買い物でもしていれば気分も落ち着くだろう。量販店の駐輪場に自転車を駐めながらそう宥める私に、
「そうじゃないの」
と彼女は俯く。何がそうじゃないのかと訊ねると、家で落ち着いたらちゃんと話すからと店に入る。

十分程で炒めものとスープ、サラダの材料を買い集めて店を出、自転車の前籠に乗せ、特に不審な人影もなかったからと、今度は二人並んで自転車を押して歩く。努めて声の調子を一段上げて料理の話題を振ると、彼女も健気に明るい声音で応じてくれる。

数分歩いて帰宅すると、私に部屋の片付けと食後の風呂の用意を依頼して、彼女は勝手知ったる他人の家とばかりに料理を始める。確かに、あれこれと散らかしっ放しの私の部屋では、食事はともかく二人が寝る場所が確保出来ない。

我ながらよくこの中で必要なものを見失わずに生活しているものだと感心しながら、勉強道具、化粧品類……と大まかなカテゴリごとに棚や籠へ放り込み、テーブルを拭いて部屋の準備は万端整ったということにする。

風呂の掃除をしようと、炒めものをする友人の後ろを横切ると、
「例のストーカなんだけどね」
と、意外にも彼女の方から切り出した。油の跳ねる音に勝って背後の私へ聞こえるようにと少々声を張っていたから、随分と元気が出たように感じる。
「三日前に警察から、『自殺しました』って電話があったの」。
浴槽にスポンジを当てた手が思わず止まる。
「人が死んで不謹慎なんだけど、もう終わりなんだって嬉しかったというか、安心したんだけど……」。
そのまま思考の停止した私の耳に入ってきたのは、
「その日からずっとね、学校でも家でも、前と同じ気配がするの。スマホにも、非通知の電話がずっと掛かってくるし……」
という言葉だった。

気配は顔見知りが死んだから気に病んでいるせいだろう。電話も、犯人がネットかアプリに電話番号を漏らし、それを見た暇人がイタズラをしているだけだろう。

そう言いながら浴槽の泡を流し、なにか手伝うことは無いかと彼女を見れば、目から大粒の雫を次々に垂らしながらフライパンを振っていた。

そんな夢を見た。

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