第百四十一夜

 

健康だけが取り柄の私が突然の腹痛に襲われて病院に担ぎ込まれ、痛みに悶ているうちにあれよあれよと事が進んで、いつの間にやら手術が終わって入院という運びとなった日のことである。その晩、これまで入院の経験の全くない私が落ち着かないのを気遣ってか、大部屋で隣のベッドになった老爺が声を掛けてきた。
「おまえさん、盲腸だって?もう昼に手術は済んだんだろう?」

看護師にでも聞いたのだろう。老爺は朗らかな笑みを艶のある頬に浮かべている。が、その艶と裏腹に痩せた頬と手から却って、どこか見えないところの異常のために入院生活が長いのではと思われる。
「ええ。でも、実は病院に泊まるのが初めてでして、何というか……」
と曖昧な笑みでごまかす私に、向き合うようにベッドに横になった彼は、
「ひょっとして、アレか。この部屋の噂を聞いちまったか!」
と大きな声を上げ、カラカラと笑う。そんな話は私にとって初耳だったが、否定をする前に彼が続ける。
「確かにな、この部屋にゃあ、死んだ誰だかが、寂しいもんだから予定に無い奴でも引っ張っていっちまうって話があったけどな……」
「本当ですか?」
思わず裏返った声で尋ねる私に、彼は手をひらひらと振って見せ、
「おうともよ。でもな、俺がいる限りは大丈夫。証拠もある」
と胸を張る。

証拠とは何かと訝しむ私に、
「引っ張られるのはな、実は俺のベッドに寝てる奴だけらしいんだ、少なくともこの病院ではな。でな、ほれ、俺のベッドの向きよ。一人だけ反対だろ?」。

確かに、壁にそって枕を並べるベッドの中、彼のベッドだけが壁に足を、通路側に頭を向けて置かれている。よく見れば枕元の手摺りに固定されたナース・コール用のボタンも、特別に配線を延長したものらしい継ぎ目が見える。
「この引っ張るっていうのがな、どうも脚を引っ張るもんらしいんだ、ベッドの通路側、脚が並んでるだろう?そこからこう、足を引っ張るっていう噂だったんだ。子供の怪談でよくあるだろう、布団から脚を出して寝るなって。体を冷やさないようにってぇ、ただの脅しだとは思うんだがな。そこで俺が一肌脱いで、このベッドを志願して、ただ、ベッドの向きを変えて貰った。そしたら効果覿面って奴で、もう引っ張られて死ぬ奴は一人も居なくなっちまった。少なくとも、俺がここに来てからだからもう三年か。ま、その代わりに引っ張られすぎて、こっちはすっかり寂しくなっちまったが」
と、彼は禿げ上がった頭を平手で叩いて笑うのだった。

そんな夢を見た。

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