第七百九十一夜

 

 高校入学後初めての夏休みも、早二週間が過ぎた。今日からは三泊四日の合宿で、一年は午前中の練習を早抜けして家庭科実習室で食事を準備する。二年生の当番が指示を出しながら簡単な昼食を作るのだが、これが男女の部員の数少ない交流の場で、皆ワイワイと盛り上がりながら作業を楽しんでいる。
 ある程度調理が進んだところで先輩の指名と共に込み袋を渡され、テーブルを巡って野菜屑や卵の殻を集めると、
「じゃあそれ、田中のロッカーのところに置いてきて」
と言われ、思わず、
「え?」
と声に出る。頭上にも疑問符が浮かんでいたのだろう、先輩は、
「ああごめん、初日だもんね。一緒に行こうか」
と宣言して部屋を出る。
 慌ててその後に続いて廊下に出ると、部室棟とは反対方向に先輩の背中が遠ざかって行く。小走りで駆け寄りながら、
「なんとかさんのロッカーに行くんじゃないんですか?」
と尋ねてみる。そもそも生ゴミをロッカーへ持っていくこと自体が大いに疑問なのだが、新たに湧いた疑問に押し流されてしまっていた。
「『田中のロッカー』ね」
と彼はこちらを振り向いて、廊下の壁を指で示す。指の先は壁の向こうは敷地の北西の角だろうか。
「あっちの角に、今は使われてない焼却炉があるのは知ってる?今はごみ置き場になってて業者が回収にくるんだけど」
そこに、一体いつから置かれているのか、雨曝しのまま回収されずに残っているロッカーがあるという。
 先輩達から語り継がれる話では、部活棟のロッカーと同じ型のもので、教師や職員用のものとは違うらしい。少なくとも二十年前の卒業文集には『田中のロッカー』への言及があって、それ以前に「開かずのロッカー」と噂されていたものを焼却炉脇に移動させたものと考えられているそうだ。
 そんな話を聞くうちに、焼却炉への渡り廊下へやってきた。昔はこの炉で校内のゴミを燃やしたそうだが、随分前に有害物質が云々で使われない。特殊教室や体育館などとは反対側の角にあるため、生徒が来る用事もほとんどない。
「部活の合宿でもなけりゃ、こんなところこないよね」
と言って先輩の指差す先には、少なくとも二十年は屋外に放置されているとは思えぬほどきれいなロッカーがぽつんと一つ立っている。錆もほとんど見られないが、唯一、名札部分の紙に書かれた文字が日焼けして薄くなり、また端のほうが少し黒くカビているところに、昨日今日置かれたものでない様子を見て取ることができる。
 日に焼けてうす赤い文字は元々黒いインクだったのだろう、何となく「田中」と読めなくもない。その足元に置かれた青いプラスチックの籠へ生ゴミの袋を放り込むとロッカーがベコンと大きな音を立てる。思わず飛び退く私に先輩は、
「暑いから、金属板が膨張して動いたんだよ」
と笑い、校舎へ続く渡り廊下を戻って行った。
 そんな夢を見た。

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