第八十七夜

 

友人の別荘をお暇して暗い山道を下っていると、頭の上で大きく両手を振るヘルメット姿の人影をヘッド・ライトが照らし出した。細いジーンズに包まれた腰回りからして、どうも女性のようだ。

慌ててスピードを落とすと直ぐ先のカーブの死角に、横倒しになったバイクが一台ガード・レールに引っかかっている。その手前に横たわる影の手前で車を停め、ハザードを出して車を降りる。徐行していなかったら轢いていたかもしれない。

大丈夫かと声を掛けながら走り寄るが、反応はない。倒れているバイクに相応しい大きな体の背中だけが、呼吸に合わせてゆっくりと上下している。

下手に動かしては首や頭に衝撃を加えかねないと判断して、携帯電話を取り出して警察に通報する。救急車の手配はあちらでするということで、支持に従って三角表示板を置き、ヘッド・ライトを事故現場に当てて警察の到着を待つことにする。

シートに背を預けて一息着くと、車内が酷く寒いことに気が付いた。事故で動転しているときには気にならなかったが、外はもっと寒いだろう。彼に上着を掛けるくらいは許されるだろうと、車内の暖房を入れて車を降り、胸の変わらず上下していることを確認してから上着を掛ける。聞こえているかは分からないが、もう少しで救急車が来るからそれまで頑張るようにと声を掛ける。やはり反応はない。

じっと彼を見ていても、自分にできることは何もない。山を吹き下ろす冷たい風に吹かれながら車に戻り、事情聴取にどれくらい掛かるのか、明日の仕事に差し支えないかなどと考える。

事情聴取ではどんなことを聞かれるのだろう。ひょっとして、お前が煽って転倒させたのか、なんて疑われたりしないだろうか。あの位置でよく轢かなかったとは言われそうだ。

そこで気がついた。手を振って事故を知らせてくれた女性の姿を、あれから一度も見ていない。いや、それどころではない。幾ら初めての自己対応に平常心を失っていたとはいえ、現場に居合わせた人に何の確認もなしに通報するはずがない。これではまるで、彼女がそこに居ないのを分かっていて行動したようではないか。

慌てて車を降り、倒れたバイクの脇へ駆け寄ってガードレールから身を乗り出して崖下を見下ろす。が、ただ暗闇が広がるだけで、詳しい様子はわからない。誰か居ますかと腹の底から声を上げたが、それも宵闇に吸い込まれて消えた。

そんな夢を見た。