第八十三夜

 

終電を最寄り駅で降りると、疲れきった頭と身体は習慣に引き摺られて半ば無意識に改札を出て家路を辿る。

駅前のロータリーを抜けて交差点を斜めに渡ると、そのまま公園へ入る。律儀に公園の周囲を周るより中を斜めに進めば、幾らか距離の短縮になるので、雨で土のぬかるんでいない限りこうする癖がついているのだ。

人気のない野球場を抜け、アスレチック場との境に立つ椎の下へ差し掛かったところ、不意に背後から肩を叩かれて「おや」と思う。誰かの脇を通った覚えなければ、誰かが追ってきた足音も聞いていない。

それでも疲労で気力の尽きた脳には驚くための余力もなく、コウモリでもぶつかったかそれとも気の所為かと思いながら、習慣に従って歩みを進める。

と、再び肩に手が触れ、そのままグイと引っ張って私を無理に振り返らせる。

骸骨だった。私の胸の高さからこちらの顔へ、髑髏に空いた大きな眼窩が向けられている。骨格標本で見たような白い骨が真直ぐに立っているので、私が医者であったなら、腰のあたりの骨の様子からこの骨が背の低い男なのか女性なのかが分かったのかもしれないが、あいにく学生のころ生物は苦手科目であった。

こんな幻覚を見るとはいよいよ働きすぎか、それとも歩きながら夢でも見ているのかと呆けている私に、骸骨はカタカタと骨を鳴らしながら、綺麗に揃った白い歯の前で手を窄めては開き、窄めては開きして見せる。

筋肉も無しにどうやって動いているのか。そういえば、振り向かされたときの力もなかなかのものだった。

そんなことを思いながら相変わらず呆けている私の眼前で、骸骨が手を振る。仕事中、観葉植物の鉢の方を見ながら考え事をしている私へ、ボーっとするなと言う意味で上司がしばしば行うジェスチャである。

嫌なことを思い出したと多少腹を立てながら骸骨を見ると、再び口の前で手を開いては閉じ、開いては閉じる。なるほど、どうやら声が出せないということなのだろう。なるほど、声帯もなしに声が出せるほうがおかしいのである。私の疲れた脳は独りで合点し、小さな満足を覚える。

お役に立てず申し訳ないが、私は手話の素養がない。見たところあなたも身振りだけで、きちんとした手話はできぬようだから、駅前の図書館で手話の本を読んで勉強するとよい。身に付いたら、誰か手話の出来る方のところへ化けて出るとよいだろう。

私なりに最善と思われる助言を伝えるだけ伝え、踵を返して再び家路に就く。直ぐに公園を抜け、点滅中の歩行者用青信号を急いで渡る。

渡りきったとき、私はある重大なミスに気がついた。

骸骨には鼓膜がない。

そんな夢を見た。