第七百九十四夜
立秋を過ぎたばかりの盆休みのはじめ、朝からカメラを持って上野の不忍池へ蓮の花を撮りに向かった。昭和に取り残されたような下町の住宅街からそこまでは自転車で二十分ほど、家を出て陽射しの強さ、空の青さに自転車での移動は諦めて地下鉄の駅に足を向けた。
ほどなく湯島の駅に着き、春日通りを西に進んで天神様をお参りし、不忍通りを北に向かうと、急に視界がひらけて一面に蓮の葉の茂る池が姿を表す。
既に同好の士が池へ伸びた橋に集まって、淡いものから力強いものまで揃った桃色の花々やそこに集まる昆虫など思い思いの写真を撮ったり、夫婦で談笑をしたり、まだ何もわからなかろう子供に見せてみたり、思い思いにその風景を楽しんでいた。
小一時間そんなふうに過ごして撮影欲を満たすと、汗掻きなもので帽子からシャツや下着まですっかりずぶ濡れになっていた。
公園前のコンビニエンス・ストアで飲み物とアイスを買い、池の畔の歩道の広くなったようなところにいくつかベンチが並んでいるのを思い出してそこへ歩く。炎天下にそんなところで座り込もうという者も少ないのか、半裸で仰向けになって日光浴を楽しむ白人男性の隣のベンチに腰を下ろすことができた。
いざとばかりにアイスのキャップを外し、融けかけたそれを舐め取る。至福の時である。暫くそうして池の眺めと舌の冷たさ、甘さを楽しんでいると、不意に、
「お母さん」
という声が辺りに響いた。呟くような、囁くような声色ながら、背後を走る車の走行音に負けぬ音量で、小さな声を録音して大音量で再生したらこんなふうに響かせることができるだろうか。
驚いて音の出所を探ろうと辺りを見回すと、隣のベンチの彼も飛び起きて、サングラス越しに目が合う。
「聞こえたか」
と片言の日本語で問う彼にイエスと答えると、彼も日本語で「お母さん」と聞こえたのだと、興奮した声色に身振りを加えて力説してくれた。
そんな夢を見た。
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