第七百八十七夜

 

 梅雨ももうじき空けようという蒸し暑い日の夕方、試験前の勉強会と称して友人二人がやってきた。三人とも上京組で、比較的大学に近く、男三人がノート類を広げて座るスペースが確保できるのが我が家だけという理由の選定だったが、家に入るなり「男の独り暮らしとは思えぬほど部屋が綺麗だ」という感想を二人して述べたあたり、おそらく二人とも部屋に他人を呼べる状態でないのだろう。
 各々、サークルに伝わる過去問のコピーや秘伝のノートを持ち寄ってその情報を共有しながら勉強を進める。しばらくして喉が乾いたという友人が近所に量販店なりコンビニエンス・ストアでも無いかと尋ねる。気が付けば夏の陽も沈みかけており、夕食にしてもよい頃合いだ。
 それなら皆で買い出しにでも行こうかと提案するが、喉の渇いたという彼以外にまともに自炊できる者が居ない。私も昨年の四月には挑戦してみたのだが、技術的な問題よりも時間の確保が難しくて断念した。そのため最低限の調理器具と調味料とは流しにある。それを聞いた彼は自分が腕を振るうからと言って、私の自転車の鍵を手に一人で買い出しに出掛ける。
 残された二人は再び机に向かうが、友人の方は一度切れた集中を取り戻すのが難しかったらしく、部屋の本棚に興味を持ったようだ。本棚といっても、大学の教科書とプリント類の入って膨らんだクリア・ファイル、それから幾らかの漫画本が並んでいるだけの、カラーボックスを積み上げただけの貧相な代物だ。
「紙の漫画なんて持ってるんだな」
という彼が漫画を読むのは、サークル室に誰かが買っては置いていく雑誌か、スマホのアプリでくらいだという。古本屋でシリーズまとめてワンコインというようなものを買ってきては、ざっと読んでそのまま古本屋に持っていく。買取額は雀の涙だが、小銭を支払って自宅で寛ぎながら紙媒体で読めるのは快適なのだ。
 私の話を聞き流しながら、適当に手にした漫画をパラパラとめくる彼がふとあるページに目を留めて、
「これ、違うんだよなぁ」
と呟く。なにかと思えばそれは妖怪を扱った漫画で、牛と馬の頭と人の身体を持った妖怪らしきものが、大きく口を開けて何かを喋っているシーンが描かれている。
「違うって、何が?」
と尋ねると、
「こいつらはね、現実の牛とか馬みたいな、こんな平たい前歯しか無いような草食獣の口じゃないんだよ。もっと鋭い犬歯のある、肉食獣の歯をしてるんだ」
と、まるで見てきたように言う。どうしてそんな事がわかるのかと問うと、
「うちの地元にちょっとした神社があるんだが」
それが牛の頭の神様だという。神仏習合やら本地垂迹やらで伝承はごちゃごちゃしているそうだが、仏法の敵や疫病を流行らせる悪魔を退治するのが仕事の、荒事の得意な神様だという。その際、鋭い牙で敵を食い千切るのだからこんな下駄歯ではありえないと、彼は鼻息荒く力説するのだった。
 そんな夢を見た。

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