第七百七十夜

 

 友人と映画を見た後、一緒に甘いものを突付きながら一頻り感想を話し合った。映画の話題も尽き、紅茶も冷めきったところで友人がトイレに席を立ち、こちらもぼちぼち退店の準備をしようかと荷物をまとめ始める。
 ところがトイレから戻ってきた友人は席を深く座り直し、
「あのさ、全然関係ないんだけど」
と前置きして、聞いてほしいことがあるという。
「最近さ、家にいると変なことがおきるんだよね。レポート書いててトイレに立ったら、後で片付けようと思ってた食器がいつの間にか片付いてたり……」
という彼女へ、
「なにそれめっちゃ便利じゃん」
と茶化すと、便利なことばかりではないと怒られる。気付かぬ間にお菓子が無くなっていたり、洗濯物が取り込まれていたり、腕や脚に見知らぬミミズ腫れが出来ていたり、
「兎に角気味が悪くって」
と彼女の口が尖る。それでも何かちょっとうらやましい現象が混ざっているような気もするが、黙って見ているわけにはいかぬ気分になるような現象もあるにはある。
「あんたの部屋って、なんか曰く付きとか、事故物件とかだったっけ?」
と尋ねるが、特にそういう話は聞いていないという。むしろ父親が過保護気味で、当初の予算をオーバーしてでも治安とセキュリティの優れた物件を選んでくれたのだそうだ。
 となると、ストーカの類というのもなかなか難しそうだ。
「うーん、同じアパートの住人なら、出来なくはないのかな」
と呟くと、
「だとしても、レポート書いてる机の上にいきなりお菓子の空袋を置いたり、手元のマグカップを飲み干したりなんて」
「音も立てずに食器洗ったりも、まあ難しいわな」。
 再び茶化す私に再び彼女が目くじらを立てるその脇から、
「あの、怪談話として楽しんでいらっしゃるなら、水を指すようで申し訳ないんですけれど」
と、隣の席から声が掛かった。化粧は薄いが清潔感があり、才女というような雰囲気のある美人だ。
 盗み聞きというわけではないのだけれど聞こえてしまってと謝罪をした後、
「それって、多分『健忘』の症状だと思うんです。よくドラマなんかである逆行性健忘とは違って、意識はちゃんと連続して普通に振る舞っているのだけれど、なにかのきっかけで何かをしていた間の記憶だけが欠落しちゃうんですけど……」
と説明を始める。要するに、食器洗いもお菓子もマグカップも、すべて彼女が自分の意志で、意識を保ったまま行っていることで、ただ彼女にその記憶がないために誰か他人がこっそりやって、突然その結果だけが目の前に現れたように感じるのだという。
「だから、できれば警察に相談なさったほうが良いのじゃないかと……」
と勧める彼女に、
「え?なんかその、脳の専門の先生とかじゃなくて、ですか?」
と友人が驚く。確かに、今までの話の流れなら、脳か精神かのお医者さんを勧められるのかと誰もが予想するだろう。が、
「私は専門ではないので詳しいことはわからないのですけれど、精神科のお薬の中に、副作用で健忘を起こすものが幾つかあって。でも、お二人の様子を見ているとそういうものを服用していらっしゃるようでもなかったので……」
と言ったところで、彼女は再び頭を下げて盗み聞きを詫びる。そのまま続けて、
「だから、貴方のお知り合いの中に、そういうお薬を貴女にこっそり飲ませるような悪い人がいるんじゃないかなって、心配になっちゃって」
と彼女は本当に眉を八の字にしながら訴えた。
 そんな夢を見た。

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