第七百六十七夜

 
 二日ぶりにすっきりと五月晴れの空の下、コンクリートに敷いたハンド・タオルの上に腰を下ろす。晴れた日には事務所の入ったビルの屋上でこうして日光浴を兼ねて昼食の弁当を食べるのが私の習慣となっている。昔のようにOL達がバレーボールをするほど広くはないが、周囲の眺めはそれなりに好い。
 この習慣は同僚達にも知れ渡っていて、時折同僚や部下がやってきて人目につくところではしにくい話をすることもある。そうでないときは同じ習慣を持つ他社の顔見知りと二言三言言葉を交わし、後はお互い静かに弁当を味わう。
 ところが今日は、顔見知りの姿がない。彼のほうがフロアが上で、大抵先に屋上にいて食事の前のラジオ体操に励んでいるのだが、それでも仕事が立て込んでいて遅くなることもそう稀なことではない。だからさして気にすることなく腰を下ろし、弁当を広げたのだった。
 少し暑いくらいの日差しを受けながら箸を動かし、弁当が半分になっても彼が来ない。普段の雑談で、彼が社外に用事に出ることは無いと聞いていたから、相当に厄介なことにでもなっているのだろうかと他人事ながら心配していると、視界の隅に女性の姿が映って思わず摘んでいた卵焼きを落とす。私から見て屋上の出入り口とは反対側に、突如現れたのだから。
 大型の空調設備のファンの他には何も無い屋上で、私に気付かれず上がってきてそちらへ移動するのは不可能だ。かといって、初めからいたというのなら、予めファンの後ろに隠れていたか、横になっていたかでもいなければ私が気付かないはずがない。彼女はどう見てもビル内にオフィスのある会社の女子社員の制服姿で、とてもそんな訳のわからぬことをするようにも見えぬ。
「こんにちは。お昼ですか?」
とこちらから声をかけてみる。小学生の娘の持ってきた不審者への対応マニュアルが書かれたビラを思い出す。
 しかし彼女は呼びかけには反応せず、今度は背後で鉄扉の開く音がする。再び驚いてそちらを振り向くと、牛丼屋の袋を提げた部下が「お疲れ様です」と言って私の横に腰を下ろす。再び女性の方を振り向くと、
「居ない……」
と思わず声が出る。
「あ、鳥でも来てたんです?僕のせいで逃げちゃいましたか。すみません」
と独り合点して謝罪する部下に、なんでもないから気にするなと詫び、今日はもう来ないだろう顔見知りに明日にでもあの女について尋ねてみようと考えながら、
「で、今日は何か相談?」
と水を向けた。
 そんな夢を見た。

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