第七百五十夜

 

 日射しこそ春めいて暖かながらまだ空気の凛と冴えた朝、通勤列車を降りると改札へ向かう人混みに見知った華奢な背中を見つけた。ちょうど昨日一人で訪れた映画館でたまたま鉢合わせ、せっかくだからと上映後一緒にお茶を飲みながら、職場ではほとんどしない互いの映画の趣味の話をして盛り上がった。

 改札を抜けたところで彼女に追い付いて肩を叩いて挨拶をすると、彼女はこちらを振り向いて少々驚いた顔をするのでその様子に違和感を覚える。たかが一度くらい一緒にお茶を飲んだと言って、少々馴れ馴れしかったろうか。

 それでもここで引いては近づく距離も縮まるまいと、彼女の横を歩きながら何か適当な話題をと頭を捻る。彼女が昨日一人で映画を見に来たのは、一緒に来る予定だった弟さんが首を寝違え、その痛みを我慢しながら映画を観たくないからだと言っていたのを思い出し、
「そういえば、弟さんの首の具合はどうですか?」
と尋ねてみる。と、彼女は改めて目を丸くして、
「どうして弟の首のことを?」
と、やや怯えた顔をする。

 どうも様子が可怪しいが、昨日映画の後に聞かせてもらったのだが覚えていないのかと尋ねてみると、確かに映画には行ったし、弟が首を寝違えたのも事実だが、行った映画館も上映の時間帯も違う、もちろん私には会っていないと言う。しかし昨日話した彼女はこちらをちゃんと同僚として認識していた。単に同じ映画を見に来たよく似た人物がいて、その人にも弟がいて首を寝違えて来られなくなったのも奇跡的な偶然というわけではないはずだ。

 そういうと彼女は眉間に小さくシワを作り、
「うーん、お姉ちゃんかもしれません」
と呟く。なんでも彼女はもともと双子だったのだが、母親が体調を崩したために無事に生まれてこれたのは彼女だけだったのだそうだ。
「だからなのかはわからないんですけど、子供の頃からたまに、ドッペルゲンガーっていうんですかね、私の知らないところで私を見たとか、会って話しをしたっていう人が、二、三年に一度くらい居るんです」
と、伏し目がちに説明してくれた。

 そんな夢を見た。

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