第七百四十三夜

 

 夕食後にひと暴れして眠り込んでしまった息子を布団に寝かせた後、帰宅した妻の夕食に付き合って軽く酒を飲んでいると、
「会社の同僚の住んでいる近所に、良いかもしれない物件があるらしいんだけど」
と、なんとも煮えきらない言葉で話を振ってきた。

 息子がだんだん大きくなって、今借りているアパートではそろそろ手狭になってきていたため、息子が小学校に上がる前までを目安にぼちぼち何処かへ引っ越そうかという話をしていた。だからその話題自体はそう唐突なものでもないのだが、
「『いいかもしれない』って?」
と、その曖昧な物言いが引っかかる。
「それがね、いわゆる事故物件の一種みたいなものなんだけど」
という彼女に違和感を覚える。お互いに薬学やらの畑の人間で、そういうところは二人共ドライだと思っていた。もちろん大学でも会社でも定期的に慰霊の儀式はあるし、生死に鈍感というわけではなく、割り切っているものだと。そう伝えると彼女はそれはその通り、
「臭いや色が染み付いてとかの実害がないのなら、人死にくらいは気にしない」
のだと肯定する。

 では一体何が問題なのかと尋ねると、
「それがね、築三年位のちょっとした一軒家なんだけど、もう一年くらいは買い手が付かないらしくて」
と言う。なるほど逆算すれば築二年程度で空き家になっていたはずで、よほど無計画に家を建てたか、それなりの事情がなければそんなことにはならなかろう。
 どうしてそんな事になったのかと尋ねると、
「なんでもその家がね、どこにも大きな隙間なんかないのに、いつの間にか猫が忍び込むんだって。それも……」。

 猫は死体を見せないと俗にいう。それは体調を崩した猫が静かなところに隠れて体調の回復を待ち、治れば再び現れて、それが叶わなければそのままそこで命を終える。そんな話を聞いたことがある。どうやらその家はその猫の隠れ場になってしまっているようで、近所の野良といわず飼い猫といわず、いかにも体調の悪そうな猫がいつの間にか入り込み、目立たぬ場所で死んでいたり、夜中に鉢合わせたりが頻繁に起きて手放されたのだそうだ。

 今の不動産屋は新しい家が建ってからの経緯しか知らないらしく、詳しい事情はまるでわからないが、その家が立つ前からそういう場所だったのだと噂されているのだそうだ。
「寧ろ物理的な分、霊だのなんだのより厄介なんだよね。だからこそ本当にお買い得なんだけど」
と、彼女は大きく溜め息を吐いた。

 そんな夢を見た。

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