第七百三十六夜

 

 目の疲れが気になって友人に洗面所を借り、コンタクト・レンズを外して眼鏡を掛ける。外した後のこの不思議な爽快感はきっと眼球に酸素の行き渡る感覚なのだろう。

 テーブルに戻ると今度は友人が席を立ち、お互いに集中力が切れている様子だから温かい飲み物でも淹れようと流しへ向かう。珈琲と紅茶のどちらが好いかと尋ねる彼女に手間を遠慮して彼女と同じものでとお願いする。

 湯の沸くのを待つ間に切りの良いところまでレポートを進めてしまおうと奮起すると、あっという間に紅茶とお菓子が運ばれてきた。お礼を言いながらペンを置きテーブルを雑に片付けて二人で休憩にする。後期の試験やレポートの提出期限が近付いて、今日は彼女の部屋で勉強会なのだ。

 私がバイト先の洋菓子店から貰ってきたお菓子を華奢なフォークで突きながら、
「ごめんね、やっぱり集中できない?」
と彼女が申し訳なさとはかけ離れた、悪戯を企む小学生のような笑顔で尋ねる。
 今ひとつ意図を掴みかねながら、
「飛蚊症なのかな、なんか、視界の端のほうでちらちら物が動くような感じがあってね。でもコンタクトを外したからもう大丈夫」
と返す。彼女はああやっぱりと深く頷いて、
「それってあのクローゼットの方じゃない?」
と部屋の一隅に目を向ける。視線の先には突っ張り棒からカーテンを下ろして目隠ししたウォークイン・クローゼットがあった。ソファ・ベッドが置かれているのと反対側の壁で、その傍らに置かれたテーブルに二人で向き合って座るとなると、どうしても視界に入る位置にある。アパートの形の都合で出来たこの部屋だけの特別な設備だという。

 いわれてみれば確かにそのあたりがちらついたような気もするがと曖昧に答えると、
「ここって事故物件でね、あのクローゼットから手だけちらちら出てきたり、中の物が朝に外へ出されてたりすることがあるのよね」
ととんでもない告白をする。

 一体どんな事件なり事故なりがあったのかと尋ねると、彼女は、
「それを聞いたらせっかく安いこの部屋に住み続けられなくなるかもしれないから聞いていないの」
と楽しそうに笑うのだった。

 そんな夢を見た。

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