第七百三十四夜

 

 就業時間を終えて特に残業もなく、身支度を終えたものから三々五々帰宅を始める中、上司から珍しく晩飯でもどうかと誘われた。上司は既婚者でもあり、酒も強くないと自称していたから、まさか声を掛けてくるとは思わず面食らったものの、なればこそ何かしら意図があってのことかと深読みして快諾し、ついていくことにした。

 アルコール・ハラスメントだの何だのと小煩い世の中になったことに加えて例の疫病騒ぎで、少なくとも自分の見聞きする範囲では酒の誘いがどうのという話は随分と少なくなった。
「酒を無理に飲ませるのは良くないけれど、一緒に飯を食うってのは大事なことではあると思うんだけどねぇ」
と、駅前まで並んで歩きながら上司が言う。
「饗食の思想って奴ですかね」
と、社会学か何かの本で聞き齧った言葉を口にしてみると、
「そうそう。人間、腹の中で何考えてるかなんて見えないんだからさ、せめて同じものを食べて同じ感想を抱くんだな、同じ人間なんだなって確認するのよ」
とおどけて言う口調とは裏腹に難しい顔で返事をする。

 駅前の居酒屋に入ると店内の気温と湿度の高さに思わずほっとため息が出る。直ぐに席に通され、上着を脱いで荷物をまとめながら、上司が軽いツマミと日本酒を注文し、自分には奢るから酒でもノンアルコールでも好きに頼むように言う。

 面倒を避けるためにビールを頼み、間もなくお通しとともに運ばれてきたジョッキとぐい呑みとで乾杯をする。

 一口で開けたぐい呑みに徳利から酒を注ごうとすると断られる。手酌で注いだ二杯目もぐっと一口で飲み干した上司は、
「君さ、夢は見る方?」
と既に赤らみ始めた顔に真面目な表情を浮かべながら喋りだした。
「僕はね、昔から余り夢は見ないんだ。いや、皆大体夢は見てるんだけど起きたときに覚えてないだけって話もあるけど、それが本当なら、起きたときに夢を見たことを覚えていることが少ないんだな。まあ、そんなことはどうでも良くて」
と、時折日本酒を舐めながら一人で喋り続ける。
「たまにね、同じパターンの夢を見るんだ。なんだか金髪で凄いヒゲを生やした四角い顔のヨーロッパ系のおじさんが出てくる」。
 そう聞いて、トランプのキングの絵柄を連想したと告げると、
「ああそう、まさにそんな感じでね、でも服装は普通のスーツ姿でさ、日本じゃ見たことのないような石壁のバーのカウンターで、その人がバーのマスタとおしゃべりしながら飲んでるの。自分はその場面にはいなくてさ、ただ話を聞いてるんだけど」。
 上司はそこで酒を注ぎ直し、
「こんな話、とても素面じゃできないんだけどね、その二人の話ってのが、よくわからない世間話みたいなんだけど、どうも僕の身の回りの話が時折出てきて、それが本当になるみたいなんだよね」
とこちらの顔を見る。

 正夢というかなんというか、それは中学生の頃から始まったという。クラスメイトが体育祭で大怪我をするとか、自分に近々彼女ができるとか、大学は第二志望に進学するとか、一人目の子供は娘だとか、覚えている限りでも結構な数が的中していると言う。嫌な予感がして、
「まさか、私に不幸があるって夢を見たとかとかじゃありませんよね?」
と先回りすると彼は微妙に顔を顰め、私ではなく私と仲の良い同期の子が事故に遭うということらしい。
「しかしさ、こんなこと、本人に言うべきだと思う?夢の話はもちろんだし。それは隠しておいて『気をつけてね』っていうのも変だしさ」
と、彼は赤ら顔の眉間にしわを寄せながら、酒臭い溜息を吐いた。

 そんな夢を見た。

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