第七百三十三夜

 

 目が醒めて枕元の目覚まし時計を確かめると、既に十時を回っていた。まあ先程眠りに就いたのが朝方の五時頃だったから仕方がない。普段なら遅刻だと慌てるところだが、インフルエンザで出勤停止なのだから身体は辛いが気は楽なものだ。

 暖房を点けて寝汗で蒸した布団を抜け出して顔を洗う。泡を流そうと目を閉じると仕事始めの早々、マスクもせずにゲホゲホと遠慮の無い咳を撒き散らしていた同僚の馬鹿面が目に浮かぶ。例の疫病騒ぎの後遺症で空咳が出るだけだなどと宣っていたが、年末年始には案の定、考え無しに遊び回っていたらしい。翌日にはインフルエンザだったと欠勤し、その日の内に私を含め職場の数人が高熱を出した。

 どうにか顔だけはさっぱりしたところで下着を換え、普段着に着替えてコートを羽織る。正月明けで食料の備蓄の少ない中を倒れたお陰で、この高熱と関節痛を抱えたまま買い出しに出なければならない。店の人間や客には申し訳ないが、マスクの上からマフラを巻いて対策をするので、どうにか許していただきたいなどと考えながらアパートを出る。

 そのまま駅前のスーパーまで冷たい風に吹かれながら歩くと、それだけでコートの中は汗に塗れ、それなのに身体は悪寒で震えていると、具合は非常によろしくない。さっさと必要なものを買い揃えて家に戻ろう。
 スポーツ・ドリンクや栄養ゼリー、氷菓の類と袋麺など、とにかく手間のかからず口当たりの好いものを買い物カゴに二つ分放り込み、店員にうつさぬよう無人会計機で支払いを済ませ、持ってきたマイ・バッグに買い物を移していると、視界の隅にジーンズの膝が見えた。

 台の隣に立って、やはり荷物を袋詰めしているのだろうその膝はしかし、尋常ではない。何しろその膝頭は――ダメージ加工で破れて肌が見えていたのだが――ほとんど台と同じ高さにある。台が低いのではない。ごく普通の身長の私の腰と同じ高さなのだ。そのまま私と同じような比率の身体が続いているとしたら、身長は三メートルを優に越す巨人だ。

 しかし、周囲の客も店員も、その巨人を驚くような声を上げてはいない。どこかで聞いた、不思議の国のアリス症候群というやつだろう。熱に浮かされていると、自分が急に大きくなったり小さくなったりしたような感覚に襲われることがあるのだそうだ。

 熱でぼうっとそんなことを考えながら両肩にすっかり重くなったマイ・バッグを掛け、ふらふらとスーパーを後にした。

 そんな夢を見た。

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