第七百三十夜

 

 実家に着いて玄関に荷物を置くなり、買い出しに出る車の運転を頼まれた。部屋に荷物を運ぶくらいはさせてくれと言って居間の甥や姪たちに挨拶をし、仏間の脇を通って階段を上がって部屋に荷物を置く。珈琲の一杯でもと再び階下に下りて台所を覗くと、女衆がお節作りの追い込みで忙しなく働いていて邪魔になりそうだ。遠慮しているうちに後ろから母に声を掛けられ、観念して車庫へ向かう。

 暖気しながらしばし待ち、メモ帳を持ってやってきた母を助手席に乗せて車を出す。行く先を聞いて田舎道を走りながら、ふと先程抱いた疑問を口にしてみる。
「何かさ、仏間のあたりの雰囲気が変わった気がしたんだけど、模様替えでもした?」。

 昔から、本当に子供の頃から、仏間だけは苦手だった。襖で仕切られただけの居間は何でもないのに、仏間に入ると気温が二度か三度は低く感じられた。線香臭いのは当たり前だが、天井近くの壁に掛けられたご先祖様の写真もどこか不機嫌そうに見え、蛍光灯を灯しても何故か他の部屋より暗かった。便所へはその脇の廊下を通らねばならなかったから、特に夜中はなるべくなら行きたくないと思うほど気味悪く感じていたし、社会人になってもそれはずっと変わらなかった。

 それが、今日は何故かその嫌な感じがしなかったのだ。
「へえ、あんたってそういうの分かるタイプだったっけ?」
と、母が珍しい動物でも見るような目でこちらを見るのが視界の隅に入る。ただ何となく、空気が澄んだというか、雰囲気が明るくなったような気がしただけだと応えると、
「実は秋口、保険屋さんが来たときにね、新人だって若い女の子を連れてきたのよ」
と言って、スマートフォンの画面を見せようとする。

 運転中に見られないからと叱ると信号待ちのときににでもと言って母はそれを膝元の鞄へ戻し、
「その日の夜にね、その子から電話が掛かってきて……」。
 その女性曰く、初対面でお客様に失礼かと思ったけれど、通された客間の奥の方から嫌な気配がするので、心当たりがあったら近所の神社に相談して、一度部屋のお祓いをしてもらった方がいいという。彼女の丁寧で人の好さそうな口調には悪意も感じられず、そもそもそんなことを言っても彼女自身に損になる可能性こそあれなんの特にもならなかろうということで、早速お祓いをしてもらったのだという。
「あたしは何もわからないんだけど、あんたがそう言うなら効果があったのかねぇ」
と嬉しそうに言ったところで信号に捕まり、母はいそいそとスマホを取り出してこちらに示すのだった。

 そんな夢を見た。

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