第七百十八夜

 

 最寄り駅で集合した同僚達と共に病室へ入ると、奥様が丁寧に出迎えてくれた。昨日、上司が虫垂炎、いわゆる盲腸で緊急手術をしたので、皆で申し合わせて見舞いに来たのだ。

 見舞いのあれこれを受け取り、花を活けるからと奥様が席を外すと、
「今の技術じゃ盲腸なんて、見舞いに来るほどのことじゃないってのに」
と上司は苦笑いとともに頭を掻く。早ければ二、三日で退院し、直ぐに復帰できるという。

 自然と各々の病気や怪我の話になるが、幸運にもみな数日程度の入院ばかりで大病や大怪我は無く、運動中に足を剥離骨折して動けずに入院した者が最長記録だった。

 もらい事故もないなんて幸運なことだと誰かが口にすると、
「ああ、そういえば昔……」
と上司が子供のように目を輝かせ、
「昔は、当たり屋ってのが居てな。いや、今でもいるのかな」
と思い出話を始める。

 交通事故の死者が国内で一万人を超え、交通戦争なんて言われる時代のこと、小学校の三年生になってはじめて近所の公園まで一人で遊びに行くのを許された。
 その日も友人と待ち合わせて学校から帰るなり荷物を置いて家を飛び出し、公園へ駆けて行った。公園の目の前に信号機のない交差点があり、既に公園で遊び始めていた級友の名を呼びながらその横断歩道を駆け抜けようとすると、ドンと体に衝撃が走って、一瞬目の前が暗くなる。

 気が付くと目の前の横断歩道の途中に白い自家用車が停まっていて、その先に小汚い爺さんが倒れている。運転席の扉が開き、青い顔をした男が降りてきて車体の前方を確認すると、爺さんがムクリと起き上がって何やら大声で運転手に吠えかかる。子供の頃には分からなかったが今思えば口汚い罵倒だったのだろう。それでも、以前に映画かテレビの刑事ドラマか何かで見た当たり屋なのだろうと思った。

 ところが運転手の男は爺さんを気にする様子もなく、首を捻りながら運転席に戻り、そのまま車を出して何処かへ行ってしまう。かと思えばいつの間にか爺さんの姿もない。駆け寄ってきた級友達が口々に、大きな音がした、お前が轢かれたのかと思った、何があったのかと捲し立てる。本人としても、自分が轢かれたものと思ったのだが、何がなんだかさっぱり分からなかった。
「その公園の角に、誰が建てたのか交通安全のお地蔵さんが置かれてたんだけど、仏さんにしちゃ身形も言葉も汚かったよなぁ」
と上司が顎を撫でると、ちょうど奥様が花瓶を手に戻ってきた。

 そんな夢を見た。

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