第七百十夜

 
秋の長雨がようやく上がった週末、溜まった洗濯物と布団を狭いベランダに干し、圧力鍋に今後数日分の夕飯となる予定のカレーを仕込んで家を出た。普段なら一週間分の食料の買い貯めのための買い物なのだが、今日は壊れた携帯キィ・ボードの替えを探さなければならないので、二駅隣りの少し大きなショッピング・モールまで出る。

幾つかのキィが潰れ、自力では修理もできぬ故に買い替えも致し方なし。手入れの出来るようなものを探すか、諦めて安物を使い捨てにするか、いや打鍵の感触がよろしくないか、でも本格的な作業はPCがメインだし……。

そんな風に暫く悩んでようやく一つ購入するともう昼も間近となっており、フード・コートへ向かう。モールのキャンペーンで一定金額以上を使うと割引を受けられるのだ。

生地の焼ける甘い匂いに誘われてクレープ屋に並び、チョコレートとバナナと生クリームの入ったものを注文し、紙コップの自動販売機で珈琲を買って、かろうじて空いていた席に腰を下ろす。一口齧ると、程よい弾力のある生地の歯触りが心地好い。

と、
「先輩、まだいらしたんですね」
と声を掛けられた。大学のサークルの後輩で、学生用アパートの多い同じ最寄駅に住んでいることから親しくなった新入生だ。手に提げた大きな荷物について尋ねると冬用の電気毛布だと言う。
「そういえばさっき、『まだ』って言ってたけど、どういうこと?」
と尋ねると、
「店に来たときここを通りかかって、先輩を見掛けたんですよ。店員さんにいろんな暖房器具の話を聞いてこれを買ってだから、三十分くらい前かな」
と言う。

きっと誰かと見間違えたのだろう。証拠にほらと右手のクレープを持ち上げて見せようとすると、そこには冷えた珈琲の僅かに残る紙コップが握られている。混乱する私に、
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。俺、口は硬いんで。さっきの彼女さんでしょう?今度、こっそり紹介して下さいね」
と人懐こい笑顔を見せ、後輩は大きな袋を肩に掛けてその場を後にした。

そんな夢を見た。

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