第六百九十九夜

 
電車を降り、改札を出ると駅前のアスファルトが湿っていた。どうやら珍しく夕立でも降ったようだ。
ところどころの凹みにできた水溜まりを踏まぬよう歩いて、夕飯を買いに駅前の量販店へ入る。温度も湿度も低い涼風が心地好い。
カゴを手に何か買い貯めるべきものは無かったかと記憶を探りつつ売り場を一周し、目に付いたものを幾つか放り込んで惣菜売り場へやってきて、晩酌のツマミを探す。
暫く食べていなかった揚げ物のコーナに吸い寄せられ、小振りの牡蠣のフライのパックが目を引いた。並んだパックの手前の幾つかには半額シールが貼られていて、無造作にその一つを手に取ると、
「やめたほうがいいですよ」
と背後から幼い声が掛けられた。
振り向くと頑丈そうな乳母車を脇に置いた女性がこちらに背を向けて刺し身を選んでいる。後ろ姿は若そうではあるが、いくらなんでも子供の声かと思うほどのことはなかろう。しかし他に誰かいるかといえば誰もいない。
空耳かと思い、手にしたままの牡蠣をカゴに入れようとすると、
「やめたほうがいいですってば」
と再び声がする。声の主は乳母車の中の子供だった。丸い目でじっとこちらを見詰める彼女はほとんど赤ん坊といっていい年頃で、喃語くらいならともかく敬語を話すようにはとても見えない。
試しにパックを元に戻し、隣のパックを手に取ってカゴに入れようとするさまを彼女に見せてみる。彼女はそのままこちらをじっと見詰めているが、今度は何も言わない。そもそも先程の声が聞き違い、見間違いだったろうか。
ひとまず今度は怒られなかったと思ってよいのだろうか。お礼というか別れの挨拶というか、彼女へ小さく手を振って、そのままカゴを持ってレジへ向かうことにした。
そんな夢を見た。