第六百九十六夜
郊外の大型ショッピング・モールからの帰り道、夕陽に向かって走る格好になるのを嫌った夫がトイレ休憩を兼ねて街道沿いの広い駐車場を備えたコンビニエンス・ストアへ車を入れた。
橙色に光る西の空に目を細めながら店に入り、トイレの使用の許可を求めてレジの店員に声を掛ける。店員の手で示す方へ並んで歩き、先を譲られて用を足しにトイレへ入る。
扉を開けると左手に手洗い台と鏡が設えられてあり、その奥にもう一枚の扉があって、その向こうに清潔な便器が置かれていた。
用を足して手を洗い、夫と入れ違いに部屋を出ると、来客を報せる電子音のメロディが鳴って入り口の自動ドアが開く音がする。トイレの脇の冷蔵庫の棚に何か目ぼしい飲み物でもないかと眺めていると、手洗い場の中から、
「うわっ」
と夫の声がする。扉を開けて出てきた彼にどうかしたのかと尋ねると、手洗い場に背の高い若い女性が立っていて、それがあまりに意外で声が出てしまったという。
「物音も気配も何も無かったからさぁ……」
とバツが悪そうにいう彼の言葉を聞き流しながら、手洗い場へ誰か入ったろうかと思い返してみる。
いくら商品を眺めていたとはいえ、すぐ脇に立っていて気付かないなんてことがありえるだろうか。
「ちょっと珈琲でも飲んでいこうか」
とホット・スナックの硝子ケースへ歩いていく彼の後へ付いて行き、二人でドーナツと珈琲とを買う。陽がもう少し傾くまで車で食べて待とうという魂胆だ。
店を出ようと出入り口へ向かうと、再び電子音が流れて自動扉が開く。
停めた車の方へ足を向けると、
「うわっ」
と再び彼が奇声を上げる。こちらも再び何事かと尋ねると、彼は珈琲を持った手でツツジの植え込みの向こうに見える歩道を指して、
「あれ、さっきの女の人」
と目を丸くしている。
言われるがままに視線をそちらへ向けると、確かに背の高い女性が買い物袋を手に歩いている。白いシャツにブルー・ジーンズ、麦藁帽子とシンプルな格好で様になるスタイルが羨ましい。
そう感想を述べると、
「あの人、俺達より先に店を出てたの?いつの間に?」
と、彼は眉を八の字にしてみせた。
そんな夢を見た。
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