第六百八十九夜

 

珈琲が落ちてゆくのを眺めながら頭の中で幾度目かの反省を終えるが、やはり原因には思い至らなかった。もはや怪奇現象とでも思って諦めるしかないのだろうか。

苦い珈琲を舐めながら暫く呆けていると、店の裏口が開いて人の入ってくる気配がする。――こんな時間に誰が?
そう思いながら給湯室を出ると店長と従業員の一人が、青白い顔を並べて歩いてくる。はて、一体いつの間に出掛けていたのだろうか。

温かいものをと言う店長の言葉にふらふらと歩き出す従業員は明らかに具合がよろしくないようで、二人へ休んでいるように言って給湯室へ戻る。

二人分の珈琲を持って事務所に戻る。さて、例の怪奇現象についてどう説明したものかと初めの言葉に迷っていると、
「先輩、幽霊って見たことありますか?」
と、女性従業員が口を開いた。何のことかと尋ねると、店長が後を継いで説明を始める。

受付業務の終わり際、最後のお客から預かった免許証をコピー機に持って行くと、一枚の免許証が挟まっていた。当然、前の客の免許証だ。うっかり返却し忘れて、お客の方もそのまま帰ってしまったらしい。控えた電話番号に連絡を入れても繋がらない。それでもそのままにしておくわけにはいかないと、店長が従業員を連れて車を出し、十分おきに携帯電話で連絡を入れながら、ひとまず免許証の住所に向かって走らせることにした。
「ここまでは君も知っているだろ?」
と店長が難しい顔をする。

いざカー・ナビゲーションに住所を入力すると、示されたのは集落もない山中だった。二人で訝しみながら三十分ほど走った頃、相変わらず繋がらなかった電話を三度目に掛けたとき、今度は「使用されていない番号です」とのアナウンスが流れ、
「つい十分前までは呼び出し音が鳴っていたんです。もう気味が悪くて、無理を言って帰ってきてもらったんです」。

どうやら話が一段落したところで、気になっていた点を確認してみる。
「あの、さっき『知ってるだろ』って仰いましたけど……」
お客の免許証の返却し忘れなどという話は初耳だった。

しかし二人は、確かに念を押してから車を出したと口を揃える。

そんな夢を見た。