第六百八十三夜

 
期末試験が終わって夏休みまでの準備期間のような朝、高校の最寄り駅からの通学路を歩いていると後ろから自転車でやってきた級友に声を掛けられた。

振り向いて挨拶を返すと彼は汗だくの顔に妙に清々しい笑顔を浮かべている。何かいいことでもあったのかと尋ねると、彼は心当たりを探ってか晴れた空をちょっと見上げてから、
「ああ、ひょっとしたら地蔵さんかな」
と独りで頷く。

何のことかと重ねて問うと、
「俺の住んでる村って、お前は来たことあったっけ?」
と質問を返される。彼の住んでいるのはここから川を上流に二十キロメートルほど遡ったところにある山中の集落で、細い県道の他に交通手段がない。川の蛇行した内側の崖に少しだけ平らな土地が広がっていて、そこに二十件ほどが集まっている。そこに住む知り合いは彼だけだが、その集落から更に先の盆地の街に親戚が住んでいて、里帰りのときに車で通り掛かったことはある。

そう伝えると彼はまた頷いて、
「村の外れに小さな社があってさ、お地蔵さんが祀られてるんだけど、見たことはないよなぁ」
と確認なのか悲嘆なのか区別のつかぬ声を漏らす。

彼にとっては子供の頃から馴染みのあるものだそうだが、
「お地蔵さんって普通はさ、優しい表情をしているものだろう?それがうちの村のお地蔵さんはなんか眉の間にシワはあるわ、目付きは鋭いわでさ、めちゃくちゃ険しい顔をしてるのよ」。

なるほど、地蔵に限らず仏像全般、不動明王のような怒りの顔をした武闘派を除けば大概は穏やかな表情をしているような印象がある。
「で、うちの村では正月と七月の半年ごとに、村の家が一軒ずつ持ち回りでそのお地蔵さんの頭巾と前掛けを新調してお供物をするのね。今回うちが当番で、昨日そのお供えをしたんだけど、今朝はなんだかそのお地蔵さんが妙ににこにこして見えたんだよね。子供の頃から不機嫌そうで怖い顔にしか見えなかったのに」
と首を捻る彼だったが、その口角は上機嫌に持ち上がって見えた。

そんな夢を見た。