第六百七十四夜
仕事の話を終えて荷物を片付けながら、間を埋める世間話に、
「あの、先程はご都合を考えずにお電話差し上げてしまって失礼致しました」
と今更ながら謝罪をした。遡ること三時間ほど、打ち合わせに先立って訪問時刻の確認と挨拶とをするつもりで電話を入れたのだが、今は出られないと部下の方に対応してもらうことになってしまったのだった。
しかしと言うべきか彼女はこちらこそ申し訳無いと頭を下げ、
「実は私、電話とかボイス・チャットとかが駄目なんです」
と苦笑する。駄目というのはどういうことだろう。単に苦手というなら、そんなことで仕事の電話を断るようなことがあるだろうか。そんな疑問が顔に出たか、彼女は、
「新人の頃に電話を禁止されちゃって。会議系のソフトもだめで、リモート・ワークもさせてもらえないんです」
と付け加えた。
寧ろ頭に浮かぶ疑問符が増えた私は昼食がてら詳しい話をと求めると彼女は頷いて我々を近くのトンカツ屋に連れて行き、慣れた様子で注文を済ませてから、
「大した話じゃないんですけれど」
と前置きして説明を始める。
彼女は学生時代に、とあるコール・センタでアルバイトをしていたという。そこで度々彼女を指名して電話を掛けてくる迷惑な客がいた。他人との会話に飢えている人が多いのか、そういう件はよくあることとまでは言わないものの少なくはないらしい。
世間話から始まって次第に卑猥な言動やら暴言やらへエスカレートして辟易し、当時の上役に相談して、彼女は別の部署に配置換えされることになった。その後掛かってきた電話に上司が出て事情を説明すると、相手は電話の向こうで、
「彼女と話ができなくなるなら死んでやる」
だのと喚き散らして電話を切ったのだそうだ。
「それ以来、人と電話で話すとかなりの割合で『近くで誰か男の人が喋っているような声がする』と言われるようになって……」、
その後現在の会社に入ると当時の上司がそれを実際に確認し、彼女に仕事で電話に出ることを禁じているのだという。
横で話を聞いていた部下が、
「その迷惑な男の生霊とかなんですかね?」
と尋ねるが、
「私には聞こえないのでなんとも言えないんですよ」
と、彼女はそう苦笑して湯呑のお茶を飲み干した。
そんな夢を見た。
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