第六百四十六夜

 

昼食の用意のために台所に立っていると、呼び鈴が鳴らされた。今日は昼に誰か尋ねてくる予定があったろうか。通信販売の荷物が届く予定は無い。が、数秒で心当たりを思い出す。今朝八時頃に尋ねてきた業者のお兄さんだ。

私の部屋は会社が寮として借り上げている単身者用マンションの最上階、他のフロアの半分しかない四部屋の一つである。学生時代に上の住人の足音等に辟易していたため、空いている部屋に最上階のものがあると聞いて一も二もなく希望したのだが、寮の先輩方に聞くところ退去者や離職者の出やすい曰く付きの部屋らしい。

そのマンションの屋上設備のナントカで、昼までの予定で作業をするから多少音を立てるとの挨拶に、作業着姿のお兄さんがやってきたのだった。そういえば郵便受けにそんな告知のチラシが入っていたように思う。屋上には確か貯水槽と、住宅街の中では多少背の高い建物だからか、携帯電話の中継アンテナらしき大きな円筒が立っていたので、その辺のメンテナンスなのだろう。
「普段から結構、足音みたいなのが聞こえるんで、慣れてますから」
と返すと、
「屋上は、普段は立入禁止だったと思いますが……」
と彼は不思議そうな顔をする。実は昼夜を問わず、時折パタパタと軽めの音が聞こえるのだ。ドスドスと人の歩くような重い音ではないので然程気にはしていないのだが、
「多分、何か風に吹かれて床でも叩いて音を立てるようなものがあるんじゃないかと。何か気付いたら教えて下さい」
と頼んでおいたのだ。

炒めものをしていた火を止めて、居間の壁に取り付けられたモニタに映る来訪者を確認し、通話開始のボタンを押して労いの言葉を掛けると、
「ご迷惑をお掛けしました。作業は無事に終わりました」
と先程のお兄さんが頭を下げる。
「ああ、それから……一通り屋上を探してみたんですが、風に吹かれて音を立てるようなものは、特には見当たりませんでした。お役に立てずに申し訳ありません」
と、眉を八の字にしてからもう一度頭を下げると、そのまま彼は階段の方へ歩いて行き、途中ちらりと屋上を見遣る。と、窓越しに、そしてインターフォンのスピーカ越しに、何かパタパタとはためくような音が響いた。

そんな夢を見た。

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