第六百夜

 

ちょっとしたトラブルに巻き込まれ、いつもより晩くに帰宅すると、マンションの玄関の様子が変わっていた。植え込みにはカボチャのランタンを模した電灯が置かれ、入り口周辺のガラス壁には画用紙に描かれた可愛らしい黒猫やコウモリが貼られている。少々気が早いがハロウィンの飾り付けだ。朝の出勤の際には何もなかったから、昼の間に飾り付けられたのだろう。

小さなマンションながら管理人の趣味なのか小さな子供の多いのに気を配って、季節毎にこの手の装飾を欠かさないのだ。

箒に跨って小さな杖から星を振り撒く黒猫を背に郵便受けを確認し、中身を手にエレベータ・ホールに向かう。時刻が時刻だけに、もうこの小さなマンションではエレベータの動いている時間のほうが短いだろう。案の定エレベータは最上階に停止したままで、その階の住人の誰かが私の先に帰宅したということなのだろう。

上向きの三角形が付いたボタンを押し、エレベータの現在位置を示すランプが点々と下りてくるのをぼんやりと見つめる。最近駅の階段を上るのが少々辛くなってきており、せめて日々の生活の中で多少は鍛えねばと思いつつも、つい帰宅時にはエレベータを使ってしまう。今日はトラブルのおかげで無駄に疲れさせられたから、今日くらいは怠けてもよかろうと頭の中で言い訳をしながらエレベータの到着を待つ。人間は言い訳をする動物である。

柔らかな電子音と共にエレベータが到着し、一瞬の間を置いて扉が開く。中から下りようとする作業着姿の男性と入れ違いに箱の中に入り、振り返って自室の階のボタンを押すと扉が自動で閉まる。

先程の男性はこんな時間まで何かの修理作業でもしていたのだろうか。一つずつ増える数字を眺めながらそんな事を考えたが、先程一回でボタンを押すまでエレベータが止まったままだったことを思い出す。止まったままのエレベータの中で彼は一体何をしていたのか想像も付かず、その彼の長く留まっていたのと同じ空間にいるかと思うと、背筋を冷たいものが走った。

そんな夢を見た。

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