第五百九十八夜

 

彼女の買い物に荷物持ちとして同行した帰りはまだ夕食には早過ぎる頃合いで、喫茶店で甘い物でもと誘われてモダンな外装の喫茶店に二人でふらりと立ち寄った。

季節の甘味ということでマロン・グラッセの乗ったケーキやらを頼み、運ばれてくる前に手を洗ってくると宣言する彼女を先に行かせ、戻って来るのと入れ違いに席を立つ。

案内の表示に従ってカウンタの脇を曲がると細い廊下があり、右手の壁に男女それぞれの個室の扉が並んでいるが、残念ながら男性用の扉のノブの上には使用中を示す赤い表示がのぞいている。個室が開くのを待つ間、手持ち無沙汰にドアの並ぶ反対側の壁に並べられた四枚の油絵を眺める。

男性用便所の扉のほぼ正面、四枚のうちの右端は何処かで見たような枯れた並木道が描かれている。その左には黄色く色付いた銀杏らしき高木の並ぶ並木道、その左には青々と茂る並木道。右から冬、秋、夏、ということだろう、同じ場所の景色を季節を変えて描いたものが並べられているらしい。

ところが、二歩ほど左へずれて女性用便所の扉の正面にある左端の絵を見ると、これがどうにもおかしい。位置からして春の景色かと思えばそうではなく、確かに同じ景色には違いないのだが、銀杏の葉が赤々と描かれている。

いったいどういうことなのか、画家の単なる悪戯心か、はたまたポスト・モダンの芸術なのか。そんなことを考えているうちに便所からハンカチを手に出てきた老紳士と小さく会釈をしあってすれ違い、便所で用を足して席に戻る。

既に運ばれてきていた珈琲とケーキとに手を付けずに待っていた律儀な彼女へ、待たせた侘びと便所で待たされたと言い訳をして、いざお茶を始める。その話の流れで当然、
「トイレの前の絵、見た?」
と尋ねてみると、
「このお店の前の通りの絵みたいね」
と言う。なるほど、言われてみれば確かにその通りだが、真っ先に言及すべき点はそこではなかろう。
「四枚並んでたのは見た?」
と尋ねると、廊下の手前、左から順に春夏秋冬の順だったと言う。
「一番左、春には見えないというか、あんな風に葉を赤やオレンジで塗られていたら銀杏かどうかも怪しく見えると思うんだけど、どうして春だと思ったの?」
と尋ねると、オレンジだなんてとんでもない、ごく当たり前の新緑らしい黄緑色の葉をしていたと言い張る。そんな馬鹿なと二人でトイレの前に行ってみると、そこには果たして瑞々しい新緑の銀杏並木の絵が掛かっていた。

そんな夢を見た。