第五百三十二夜

 

風呂から上がり、濡れた身体をタオルで拭きながら晩酌のツマミに何を作るか、冷蔵庫の中身を思い出しつつシミュレートしているうち、
「しまった」
と思わず独り言ちた。ちょうど昨晩、買い置きの酒を切らしたのを忘れていた。あれやこれやの祝いに貰った上等な酒なら幾らか、流しの下に蔵ってあるが、こんな何でもない日に封を切るような代物でもない。
――せめて風呂に入る前に気づいていれば。

疫病騒ぎが始まって以来、外から帰ると上着を玄関で脱ぎ、そのまま風呂へ入って身を清めるのが癖になっている。どれほど感染予防に効果があるかは知らないが、以来疫病どころか風邪もインフルエンザにも掛からず、運動不足気味な以外は却って健康になったかもしれない。

それが殆ど丸二年も続いているものだから、ちょっとそこのコンビニエンス・ストアまでという程度であっても、やっぱり風呂に入って下着から何からすっかり着替えないとさっぱりしない。すっかり日も落ちてますます冷え込む中を、風呂上がりの身体で酒だけを買いに出掛けてまた風呂にとなると流石に億劫だ。

かといって、酒なしに満足な夕食を準備できるほど冷蔵庫の中身が充実しているわけでもない。結局また外着に着替え、風呂の前に着替えを用意して出掛けることにする。

駅前の量販店は流石に遠い。運動不足の解消にジョギングを始めて見付けたコンビニが駅とは反対方向にある。元々酒屋だったという話で、店内に安酒から銘酒まで色々取り揃えていた。今日はそこのお世話になろう。

ネック・ウォーマに顔を沈めながら店に転がり込み、品出しをしていた主人に予算と好みを伝えると、幾つか手頃な値段の銘柄を勧めてくれる。人当たりの好いのが気に入って、飲み比べてみるからと一升瓶を二本、若い女の子の立つレジスタへ持って行く。

型通りに挨拶をしてレジを打った彼女は釣り銭を渡しながら、
「あと、ちょっとでしたね」
と囁く。

一体何が「あと、ちょっとでしたね」なのか。幾度か店を訪ねたことはあるが、少なくともこちらは彼女の顔に見覚えはない。
「え?」
と、何のことかさっぱり見当の付かない私が聞き返すと、
「ありがとうございました」
と彼女は再び型通りに深々と頭を下げる。

それ以上追求するのも気が引けて、店の奥の主人に荷物を軽く持ち上げて会釈をし、そのまま自動ドアを潜って外に出る。

再び背を丸め、首を窄めて早足に歩きながら、昼間に行きつけの弁当屋のレジでも、
「あと、ちょっとでしたね」
と言われたのを思い出した。

そんな夢を見た。