第五百三夜

 

このところすっかり鈍った足腰を鍛えるべく、朝起きして久し振りに手入れをした自転車で近所を走ることにした。その程度で何の鍛錬になるかと思われそうだが、この辺りは谷の付く地名に恥じることのない起伏に富んだ地形をしていて、スピードを出さなくても上り坂を真面目に漕いで登ればそれだけで結構あちらこちらに効くのだ。

随分と風の冷たくなった秋晴れの午後、植え込みの花を眺めながら坂道を探し、懸命に登っては次の坂を探して一時間ほど汗を流したところで、坂の上の交差点に一軒のコンビニエンス・ストアを見つけて一休みしようかと思い立つ。

駐車場の端に自転車を停め、スポーツ・ドリンクを買って、何処か落ち着いて腰を下ろせるところのないものかと辺りを見回すと、直ぐ脇に石の柵で囲われた庚申塚があり、興味本位でその石段を上ってみる。

楓や柊の茂る塚の敷地に一歩足を踏み入れると、日差しの遮られるせいかそれとも湿った土の地面のせいか、爽やかな秋の涼しさとは異なる、冷たく湿った空気に驚かされる。

由来書きの看板の奥に大きな石碑が立ち、その前に花やカップ酒、線香などが供えられている。どれもまだ真新しく、風雨にさらされた様子はない。誰かきちんと世話をする人があるのだろう。その前にしゃがみ込み、ペットボトルを脇に挟んで手を合わせると、供え物の中の煙草の箱が目に入った。

白地に水色の帯が横切り、紺色のアルファベットでマイルド・セブンと書いてある。煙草の銘柄の一つだ。子供の時分に父の実家へ行くと、定まって祖父が大きなガラスの灰皿に灰の山を作りながら推理小説を読んでいたのを思い出す。まだアルファベットの読めぬ頃、祖父にせがんで箱に何と書いてあるのか教わったような気がする。それが、多分マイルド・セブンだった。

個人の墓でもあるまいにと思いながら塚を出て、結局コンビニの駐車場の端でサドルに尻を預けながらスポーツ・ドリンクを飲み、ふと思い立ってもう一度店に入る。

レジに立つ年配の女性に、
「すみません、マイルド・セブンって置いていますか?」
と尋ねると、女性は暫く棚を指でなぞった後振り返って、
「メビウスでいいんでしたっけ?」
と言う。どういうことかと尋ねると、もう十年近くも前にブランド名が変わって、もうマイルド・セブンと言う名前では売られていないのだと教えてくれる。

それならあの真新しいパッケージのマイルド・セブンは、十年以上も前に供えられたのだろうか。それとも、大量に買い置きをした誰かが定期的に供えているとでもいうのだろうか。首を捻りながら彼女に礼を述べ、そのまま店を出て自転車に乗ると、庚申塚から冷たく湿った風が流れてきて首筋を撫でた。

そんな夢を見た。