第四百九十四夜

 

ワクチンを打った日の深夜、熱帯夜と発熱に浮かされて寝付かれず、口に出来るものも底を突いた。喉は渇き、食欲は一切無いが体内のエネルギが足りぬ気配だけは切実に感じる。仕方がない、汗でぐっしょり濡れた衣服を着替え、湿った寝床を少しでも快適にしておこうと掛け布団をめくって扇風機の風を当てておき、鍵と財布とだけを持って近所のコンビニエンス・ストアへ出掛ける。

丸く黄色い月の照る下を歩くと、身体は重いのに足取りは浮ついて、雲の上を歩くような愉快な気分でコンビニまで辿り着く。これはなかなかに重症なのではないかと他人事のように思う。

冷房の効いた店内に入り、それなりの栄養の摂れるゼリーと口当たりの好さそうなアイス、水分と糖分の補給にスポーツ・ドリンクを多めに見繕ってレジに出し、うっかり忘れた買い物袋の代わりに有料化したビニル袋と合わせて代金を支払う。やはり熱で頭が働いていない。
荷物をまとめて袋に詰めて店を出、低く薄い雲の向こうに丸く輝く月を眺めながらふらふら歩いてアパートの前に着くと、常夜灯代わりの自動販売機が低い唸り声を上げている。

もし足りなかったら面倒だ。大したことは無かろうと高を括ったためにこうして辛い目にあっているのだから、ここはひとつ、スポーツ・ドリンクくらいは多めに買い備えておくべきだろう。

いつもに増して回らぬ頭でそんな風に考えてスポーツドリンクの長い缶の下のボタンを押すと、どこかから小さく短い音が聞こえた。植え込みの椿の葉にカナブンの羽でも掠った擦過音だろうか。

一瞬の間を置いて、取り出し口へ落ちてきた缶が深夜の住宅街に大きな音を響かせる。ビニル袋に移し、続けてもう一度ボタンを押すと、今度は自販機の上部から、はっきり舌打ちと分かる音がする。

驚いて辺りを見回すが、終電もとうに終わった住宅街には誰も居ない。気味悪く思いながらも、こちとら熱でそれどころでない。缶を回収して自販機の脇を抜けて自室に戻り、アイスの一つを咥えながら残りを冷凍庫へ詰める。

冷蔵庫を開けてゼリーと飲料を放り込みながら、何故か先の舌打ちが頭の中で木霊する。

それは舌打ちと言っても、長く閉ざしていた口内で生乾きの唾液が粘ついて鳴るような「音」ではない。誰かに自分の不機嫌を報せるため、人間が意図的に声帯を震わせる「声」だった。

そんな夢を見た。