第四百八十四夜

 

朝食を終え、茶を飲みながら疫病騒ぎに孫も来ない退屈な盆休みに何をして過ごそうかと考えて、一昨日迎えたばかりのメダカのことを思い出し、餌の容器を片手に小さな庭へ出た。

といって、私の趣味で迎えた訳ではない。妻のパート先で客の目を楽しませていた睡蓮が花頃を終え、休憩中のお喋りにそれを惜しむようなことを言った妻を同好の士と思ったか、それを増やそうと思ったかは知らないが、勤め先の奥さんが「今から可愛がれば来年にはまた綺麗に花を付けますよ」と、一株分けてくれたのが始まりだった。

無論我が家に池など有りはせず、水を貯める物――睡蓮鉢というらしい――が必要で、余り温度が激しく変化しないよう、大きな物がよいという。その点、陽当りの悪い庭は都合が好い。ただし、屋外に水を置けばボウフラが湧くので、それを防ぐのに丈夫な魚を飼うのが好いという。店員の説明によればメダカなら十分に冬を越せ、椰子の繊維をほぐした物でも入れておけば勝手に子を生んで殖えるものらしい。虫が湧かねば当然飢えるので、餌も控えめにやらねばならぬという。

そんなこんなで睡蓮のため、急遽小さな池一式を用意して、居間から見易く、直射日光の当たらぬ壁際に置くことになった。

この時期ちょうど空調の室外機から伸びる排水ホースからは、冷房を入れればちょろちょろと水が滴るので、それを睡蓮鉢に導いて水の蒸発分を無駄なく補える画期的な発明を思い付いたのだが、さて丸一日経って様子はどうだろうか。

水中をふらふらと泳いでいた赤いメダカ達は、私が近付くなり素早く睡蓮の葉陰や椰子の繊維を浮かべた影へ隠れ、水面に餌を一摘み撒くと慌てて水面へやって来て、ひったくるようにそれを咥えてまた影へ戻る。余り可愛いとは言い難い。慣れれば顔を覚えて懐くようになるものだろうか。まあよかろう、健康に長生きして、ボウフラ退治に勤しんでくれればそれで十分だ。

水位の昨日と余り変わらぬ様子を見て満足し、居間へ戻ろうとして、近くの地面に艷やかで毒々しい橙色の小片が落ちているのに気が付く。スズメバチだ。

彼女――働き蜂は皆、雌だそうだ――は短く苔の生えた地面に六本の脚で立ち、じっとこちらを睨んでいる。乾いた苔に齧り付いて何をしているのか。私は暫く首を捻った後、排水ホースを鉢から出し、水滴の地面に滴るように戻してやる。それでは間に合わぬかと手で鉢の水をひと掬いしてホースの先の地面へ注ぐと、水は乾いた苔を湿らせながらゆっくりと伝って彼女の足元に小さな水溜りが出来上がる。

彼女は大きな顎をその水に浸け、暫くすると礼も言わずに何処へともなく飛び去って行き、私は素晴らしい発明の代わりにコップによる鉢への水足しを日課に加える決意を固めた。

そんな夢を見た。