第三百九十三夜

 

「おい、兄ちゃん」
と肩を揺さぶられて目が覚めた。寝袋の中は軽く寝汗をかく程度に暖かだが、外に出ている顔に当たる風は随分冷たい。その冷たい顔を、よく陽に焼けた人の好さそうな老爺と黒い柴犬が覗き込んでいる。

寝転がっていた東屋のベンチから体を起こしながら発すべき言葉を考え、ひとまず、
「おはようございます」
と挨拶をする。老爺は大袈裟に眉を八の字にして、
「おはようじゃないよ、もう。死んでるかと思ったじゃないか」
と文句を垂れてから、大きく安堵の溜息を吐く。犬の方は老爺の脇でおすわりの姿勢をとり、目を輝かせてこちらを見上げながら丸まった尻尾を左右にゆらゆらと振っている。
「ご心配をお掛けしました」
と頭を下げてから、野宿の理由を簡単に説明する。

昔から体を動かすのが好きな質だったのだが、このご時世に人の集まるようなところで体を動かすのが難しくなった。独りで何か楽しめないものかと散歩に出ると気に入って、しかし風景の変わらないのに飽きて自転車を買い、遠出をするようになった。そのうち出先で小腹が減って、深夜に星を見ながらカップ麺を食べたがこれが美味い。

それで金曜の夜になると、仕事を上がってから夕食と風呂を済ませ、事前に準備していたナップザックと寝袋を担いで自転車に跨って、小さなキャンプのようなものをするようになった。寝る分にはベンチ一つあればマットと寝袋で不満はないのだが、火を扱っていいところは限られる。三時間ほど自転車を漕いでこの公園へやってきたのも、キャンプ用の炊事場があるからだ。
「今朝もその小キャンプ明けで、明け方に外で食う飯も美味いんですよ」
と、ザックの中の携帯食料を見せて笑うと、
「そりゃいいが、ここはいけない。火を焚かなくて済むんなら、何処か近くの別の公園へでも行って、そこで食うといい」
と、指を揃えて伸ばした手を顔の前で左右に振って見せる。
何か迷惑を掛けただろうかと尋ねると、
「いや、迷惑も害もありゃしないけどな」
と片目を瞑り、
「しばらく前にな、ここの竈で人間の死体を焼いた奴がおったんよ。毎朝、散歩に来てるんだがコイツがえらい吠えようで……」
と、主人の脇で大人しく座っている柴犬の頭を、彼は軍手をはめた大きな手で撫で、
「そんなことろで沸かした湯でモノを食ったって、気持ちのいいもんじゃないだろう?」
と肩を竦めてみせる。
「そうですね」
と苦い愛想笑いを返しながら、ならそんな話を聞かせてくれなければよかったのにと、少々彼を恨めしく思った。

そんな夢を見た。

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